「苫米地英人研究会 t-mania」様より
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苫米地英人が語るスピリチュアリズム!?『スピリチュアリズム』
『スピリチュアリズム』というストレートなタイトルからわかると思いますが、本書では苫米地さんがスピリチュアリズムについて語っています。
脱洗脳、宗教、認知科学などが専門の苫米地さんですから、スピリチュアリズムに詳しくても特に違和感はないでしょう。
金色に輝く表紙に、黒く力強いスピリチュアリズムの文字。内容以前に装丁からしてインパクトがあると思います。
スピリチュアリズムとは?
スピリチュアリズムの定義からです。
『この宇宙のどこからかはわからないが、ある種のメッセージが何らかの形で伝えられていて、自分の内なる何かを研ぎ澄ませていけば、そのメッセージを受け取れる可能性があるのではないか。「見えない何か」と私たちは本当は繋がっているのではないかという思いーーそれが広い意味でのスピリチュアリズムです。』
スピリチュアルはキリスト教用語で、霊的であることや霊魂を意味します。
それだけに霊、死後の世界、前世など宗教がベースのものが多いですが、他にも超能力、時間移動、宇宙人などSF的なものなど。
本書では一般的な意味よりも幅広い意味で使われています。見えない何かと自分との関係…つまり科学や自然を超えたものと自分との関係を指しています。
スピリチュアリズムに関連する人物で、苫米地さんが特に関心を持っているのが江原啓之氏と中沢新一氏です。
江原啓之氏はスピリチュリストでタレント。
『幸運を引きよせるスピリチュアル・ブック―“不思議な力”を味方にする8つのステップ (王様文庫)』がベストセラーになり、2005年~2009年までテレビ朝日で放送されていた『国分太一・美輪明宏・江原啓之のオーラの泉』で一世を風靡しました。
中沢新一氏は宗教学者で、オウム真理教と関連が強かった人物です。
現在は明治大学で野生の科学研究所所長、特任教授を務めているそうです。
この2人に対する批評を中心に本書は進んでいきます。
スピリチュアリズムの歴史
スピリチュアリズムブームの発祥は19世紀後半のイギリスだと苫米地は言います。
シャーロック・ホームズで有名なアーサー・C・ドイルも加盟してたことで有名な英国スピリチュアリスト協会(SAGB)は1872年に創設されました。
江原氏もイギリスでSAGBに会員となり、スピリチュアリズムを学んだといいます。
また過去にアメリカでもブームになりました。本書でも挙げられている『サイキック・マフィア』ではアメリカのスピリチュアリストたちが、どのように顧客情報を手に入れ、信者を獲得していったかの手法が赤裸々に語られています。
日本でのスピリチュアリズムブームは明治時代にさかのぼります。
東京大学助教授だった福来友吉氏が透視能力や念写の実験を行なった『千里眼事件』がきっかけだといいます。
小説や映画『リング』にもこの事件が登場し、作品の中で呪いの元凶である貞子はこの実験の被験者がモデルです。
超能力を科学的に解明しようという試みは当時としても画期的でしたが、いかさまだと批判され、福来氏は学会を追放されました。
その後は高野山で修行したり、神通力の存在を研究するなどスピリチュアリズムへの傾倒を強めます。
100年以上前のことなので、真相は闇の中です。
しかし苫米地さんは福来氏に問題があったといいます。
『念写写真というのは、言わばロールシャッハ・テスト(インクのしみが何に見えるかによって被験者の人格を解釈する投影法)みたいなものです。最近も某民法テレビ局が「亡くなったお母さんの霊を見る」ということをバラエティ番組の中でやっていました。
(中略)
暗いところで光をあてて鏡に向かうと、自分が動いているわけだからどんな映像だってゆらゆら揺れて見える。そのとき意識させずにどのようにでも映し出すことができるわけです。念写も同じことです。しかも一九一〇年当時のフィルムで品質もよくありませんし、カメラも完全に紫外線をシャットアウトできないものですから、少しは感光してしまいます。すると写った画像にはいろんな模様が出てくるはずです。そんなことはいくらでもありうるのに、それを心理的に「見えた」と思うわけです。そして学者が「これは凄いものが写ってる」と論文に書いてしまう。私に言わせれば、あなたにはそう見えたんでしょう、というだけの話。』
江原啓之VS苫米地英人
本書で、苫米地さんは江原氏の発言や経歴を細かく分析します。
『私の結論を先に言えば、江原さんは元々典型的な「自分探し君」なんです。普通はイギリスではなくてだいたいインドに行きます。
(中略)
インドへ行って、ドラッグを盛られてパスポートを盗られ、行方不明になってしまう人が多いのですが、たまたま運良く帰って来られた人はヨーガ教師になったりしています。その意味でイギリスに行ったというのは非常に珍しいのです。しかし、イギリスに六年間ずっと行っていたのではなく、九回の旅行の多くは長くはない滞在で、「何回目かの渡英ではアパートを借りての長期滞在も経験しました」(『スピリチュアルな人生に目覚めるために』)ということですから、イギリスに行って勉強したと言うより観光客で行って、交霊を見て「凄い」と騙されて帰ってきたのかもしれません。おそらく変性意識に入りやすい人なのでしょう。もし彼が私に会いに来れば、いくらでも幻覚を見せてあげます。』
『自分探し君』…江原氏は催眠術のような変性意識状態(トランス状態)を操っており、そのレベルは決して高くないと苫米地さんは言います。
また江原氏の本の付録の封じ護符は日蓮宗系の護符の描き方で、実際に描いてある内容は真言宗系だそうです。
イギリスで学んだ以外にも、神職の資格を持っていたりと、江原氏には様々な経歴があるので、『自分探し君』という苫米地さんの指摘は的を得ていると思います。
江原氏に幻覚を見せることも可能だそうですが、脱洗脳の技術を使うのでしょうか。ぜひ対談してほしいです。
中沢新一VS苫米地英人
本書では江原氏以外にも占い師の細木数子氏や、宗教学者の島田裕巳氏、作家の荒俣宏氏などを苫米地さんが名指しをしています。
その中で特に強く批判されているのが中沢新一氏です。
スピリチュアリズムと聞いて江原氏を連想することは違和感がないですが、中沢氏はなかなか思いつかないでしょう。
彼はオウム真理教と強い関わりのあった宗教学者です。
著書『虹の階梯―チベット密教の瞑想修行』はオウム教団の中で広く読まれており、聖典として扱われていたそうです。
江原啓之”氏”や江原”さん”と読んでいて、対談したいと言っていたりある意味、江原氏に好意的な苫米地さんですが、中沢氏については呼び捨てででした。
これは地下鉄サリン事件の実行犯で無期懲役が確定した林郁夫既決囚などと同じ書き方です。
また『オウムの”A級戦犯”』とまで言っており、苫米地さんの中沢氏に対する強い怒りが伝わってきます。
『私は教義を作るのに携わっていたオウム信者本人から、「中沢新一先生に教義を作ってもらいました」とはっきり聞いています。オウムの今日日には中沢新一のところに通った石川公一が大きな役割を果たしています。
(中略)
石川は中沢新一のところに通ってチベット密教を教えてもらい、洗脳プログラムと一緒にオウムの教義を作りました。』
この前提として、オウムの教義がチベット密教原理主義であると苫米地さんは言います。
オウムに対して「あんなものは宗教ではない」という批判は間違いだというのです。
むしろ宗教、特にチベット密教の恐ろしい部分を煮詰めたのがオウムといえます。
逆に言うと、だからこそ中沢新一氏を始めとする学者や作家が初期段階ではオウムに好意的だったのでしょう。
浄土真宗や禅宗など日本の仏教と比べて、チベット密教は古代の仏教に近いのです。
日本の仏教が堕落してる→今こそ(チベット密教のような)原理主義に戻るべきだという主張は、仏教に詳しい人ほど受け入れやすいです。
オウム事件によって、日本人は宗教に対して警戒するようになりました。
そして比較的カジュアルなスピリチュアリズムが流行ったのです。
しかし、スピリチュアリズムの延長線上にはオウムのようになってしまう危険性があることを苫米地さんは警告しています。
『私は、現代日本のスピリチュアルの総本山は中沢新一だと思います。
(中略)
麻原彰晃と中沢新一によるスピリチュアリズム運動は、サリン事件によって壊滅的なダメージを受けたし、日本のスピリチュアリズムは本当なら終焉していなければいけなかったはずです。ところが、これほどわかりやすくてこんなに受けいれられやすい論理はないから、スピリチュアリズムは何度でも頭をもたげてくるのです。そのうえスピリチュアル側の論理が次第に巧妙になってきています。中沢のようなスピリチュアリストに騙されてはいけません。』
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