音と武術「気合」
「天心流 第十世師家ブログ」様より
シェア、掲載。
ありがとうございます。
感謝です。
古流武術 天心流兵法第十世師家 鍬海政雲のブログ(主にマガブロ移行)
2014/01/25 05:44
音と武術の関連性を考えました時に、最初に思いつくのは「気合」でしょうか。
気合と申しますと、大声を張り上げるというイメージに終始してしまいますが、有声無声、呼気吸気などの意味も含めて、実は大変奥深いものがあります。
・気合術独習法
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/944803
・殺活自在 気合術
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/859889
・即席活用忍術気合術秘伝 附変現自在幻術の極意
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/917613
近代日本では上記のような気合をテーマとした書籍が多数発刊され、一種の気合術ブームがありました。
これは同じくブームとなった催眠術や心霊術と併せて一種のアングラ的な文化として広まっていきました。
こういったブームの下地となったのかはわかりませんが、往時の古流武術には、こういった気合術がそれぞれに口伝され、重要視されておりました。
不動金縛りの術(瞬間催眠)などは、裂帛の気合、雷声を用いる事も少なくありません。
■ 気合の意義
突然、近くの人が大声を張り上げますと驚きます。
この時、反応が起こるのは心だけではありません。
ビクンと身体が跳ね上がる経験を誰もがした事があるはずです。
実戦の場では向い合っての事ですから、そうそう身心の動揺など起こりえないものと思ってしまいますが、そもそも生死のやりとりの場面ではその時点で心も身体も非常な緊張状態に置かれます。
気合は敵を威嚇するだけでなく、そういった己の心を鼓舞し、身心の緊張を解すという意味もあります。
そして裂帛の気合も一点に集音させるかの如くに鋭く響かせる事も大事になります。
ただ大声で気合を出すと、音は拡散し敵に響きません。
気合術を修めた者の気合は、狙う場所一点に響くと言われます。
音がどこまで身体に影響を及ぼすのか、科学的な事ははっきりしませんが、盆踊りの太鼓の音や、ウーファーの重低音で心臓を揺さぶられるような身体への響きを感じた事はないでしょうか。
つまりわかっていても、身構えていても、音は内部を振動させて、身体に影響を及ぼします。
身体が変化すれば自ずと心も変化します。
弱い犬ほどよく吠える、などと申しますが、ライオンも虎も像も咆哮します。
恐らくティラノサウルスやアロサウルスだって、激しい咆哮を用いていた事でしょう。
そういえばキン肉マンの劇中でもジェロニモが「ウララーーー!!」と叫ぶ「アパッチのおたけび」でサンシャイン(身体が砂の塊という超人)とのシングルマッチに勝利していました。
これはもちろん創作ですが、インディアンの雄叫びは狩りや戦争の際に実際に用い、大きな効果をあげていたようです。
音の効用というものは、古今東西の軍場にも利用されました。
敵を威嚇するのはもちろん、味方を鼓舞するためにも「鬨の声」など用いられましたし、また音楽を使う場合もありました。
軍隊曲ではメフテル(トルコ軍隊行進曲)などよく識られております。
モーツァルトやベートーヴェンの「トルコ行進曲」はこのメフテルを下地に作られたものだとされております。
メフテルで最も有名なのは「ジェッディン・デデン」(祖父も父も)という曲でしょう。
日本ではNHKドラマ「阿修羅のごとく」のテーマ音楽として流れて有名になりました。
ちなみに明治北海道十勝スライスチーズのCMで所ジョージさんが歌っている歌のメロディが非常に似ています。
・自衛隊が音のビームで海賊退治をしてるらしい - NAVER まとめ
丁度話題に上がっておりますが、音響兵器というものも昨今では実用装置として導入が進められております。
こういった兵器の指向性原理はよくわかりませんが、単純な話ではラッパなどの形状がまさしく指向性を生むものであり、やまびこで口に手を当てるのも同じ原理になるかと思います。
気合においても、口の形や口中の働きによって、巧みに指向性を持たせる工夫も必要になってきます。
■ 天心流兵法で用いる気合
天心流では抜刀術の際には基本的に気合を用いません。
抜刀術というのは、事を荒立てないように、出来る限り静かにという事があげられます。
攻めるにせよ守るにせよ、騒ぎにならずに済むならばそれに越したことはありません。
用いても原則無声の気合で「ハッ」と入れます。
剣術では、裂帛の気合を用いて稽古、演武するのが基本です。
打方(技を受ける側)は「ヤァ」、仕方(技を行う側)は「トゥ」と気合を入れます。
ただ実戦では、気合を用いると「気抜けになる」という事で、あまり気合を用いません。
勢法(型)の中で気合を入れるのは、腹を練るという意味がまずあります。
そして前述の通り、自らの内の闘志を気合という形で発する事で、自ら、あるいは仲間を鼓舞し、そして敵を怯えさせる意味合いもあります。
大声を張り上げるのと、よく練り上げた気合ではまったく効果が異なるものです。
もう一つ忘れてはならないのが、吾が気合を用いる事があるように、敵も気合を用いる事があるという事です。
よく識られる所では、鹿児島の地に伝わる示現流の気合や、「猿叫(えんきょう)」と呼ばれる薬丸自顕流の気合があります。
「キィエーイ」という裂帛の気合で敵に迫り、敵が倒れるまで撃ち続けるその姿は恐ろしいものがあります。
「一の太刀を疑わず」等と言われ、新撰組の近藤勇が「薩摩の者の初太刀は外せ」と指示したという逸話もあり、一太刀のみの流儀と誤解される向きもありますが、決して一撃のみが恐ろしいわけではないという事です。
私自身はそういった方々と実際に相対した経験があるわけではありませんが、激しい気合にて迫られるという経験は少なからずあります。
しかし一般の方々にはそういった、恐ろしい形相と気合で迫られ、足がすくむような経験がそうそう無いせいかもしれません。
日本武道館にて行われます日本古武道協会の演武では、観客席から失笑が漏れていた事もあります。
剣道でもすさまじい気合を用いた攻防があり、それも揶揄・嘲弄される事が少なくありませんが、気合の洗礼を識らない者が、実戦の命のやりとりの中で平常心を保てるのかどうかが、生き死にを分ける分水嶺ともなりかねません。
気合を持つ事は武器になりまず。
そして気合を識らぬという事は弱点になりうるのです。
恐ろしい気合に竦み上がってしまっては、如何に技術があろうとそれを発揮する事無く敗れてしまう危険性もあるんどえす。
敵がそういった気合を用いてくる事も想定しなければなりません。
つまり稽古での気合は、仮想的として恐ろしい気合に気負けしない訓練という意味合いも含んでいるのです。
日々の稽古を気合を練り上げなければ、稽古相手としてそれを用いる事も出来ません。
武術、武道の気合と申しますと、「「矢鱈に大声を張り上げている」と認識される事が少なくありませんが、闘争では非常に重要なキーワードとなります。
天心流ではそういった気合を練り上げるために、別に気合の養生法を兼ね備えた気合術というものもいくつか伝わっております。
現代の観点では莫迦げたものかもしれませんし、稽古場でそれを伝授し、稽古するというのは場違いで難しいのですが、師家宅などで折にふれて個人教授されております。
ただし、通常の場合、それがそれとしては認識されにくいものがあります。
その目的は巧みに隠され、所謂旦那芸の如しの、或いは大道芸の一貫のようなものとして用いられます。
特に現代では莫迦げたものと思われがちですが、そういったものにこそ、古武術の深淵が秘されているものです。
続いて「ニコニコ動画」です。
気合の達人 佐々木了雲
聖中心道肥田式強健術 免許皆伝者 佐々木了雲
立ちこぎ さん
天心流 第十世師家ブログ
古流武術 天心流兵法第十世師家 鍬海政雲のブログ(主にマガブロ移行)
音と武術「気合」
2014/01/25 05:44
0コメント