#マイケルジャクソン #日本財団 #SMAP VS #NWO

まず「井口和基の公式ブログ」様より

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マイケル・ジャクソンはイルミナティーに殺された?:イルミナティーvsミュージック


みなさん、こんにちは。


マイケル・ジャクソンはどうして死んだのか? 殺されたのか? 病死したのか? だれもが知りたいことである。どうやらマイケル・ジャクソンは「イルミナティー陣営」に殺されたようである。というのは、マイケル・ジャクソンがリリースした「They Don't Care About Us」という曲がある。これが、まさしくウィリアム・クーパーやデービッド・アイクやジョン・コールマン博士が暴露してきた「人間牧場化計画」の世界をそのまま批判した曲だからであるらしい。


中略


イルミナティがいかに音楽業界を動かしているか?フリーメイソン


アメリカのヒップホップ界やラップミュージック界も「イルミナーティ」と歌うものがかなり出てきている。そこで私はここで予言しておくが、もうじき吉本興行の芸人が「イルミナーティ」とか「NWO」とか命名するものが出てくるだろう。


昨日、亀井大臣が怒ったように、すでに鳩山民主党政権にも「イルミナティー陣営エージェント」が白昼堂々と入ってきているようである。これは俗に「侵入」と呼ぶ。そしていつの間にか「乗っ取り」を計るらしい。


続いて「大紀元」様より

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共産党へ受け継がれた秘密結社イルミナティの教義

2017年05月20日 22時55分


「共産党宣言」は「一つの幽霊、共産主義の幽霊がヨーロッパで漂っている」の一文で始まる。この文言の通り、共産主義は元々人々の幸せを実現するために生まれた学説ではなく、その根底には悪魔崇拝がある。

カール・マルクス、悪魔への道(上)(下)

 米国国会図書館長であり、著名な歴史学者でもあるジェームス・H・ビリントン氏などの研究によると、共産党は18世紀ドイツのバイエルンの「イルミナティ(Bavarian Order of the Illuminati)」に起源を持つ。秘密結社「イルミナティ」の指導者であった哲学者アダム・ヴァイスハウプト(1748—1830)は悪魔崇拝者とされ、サタンとルシファーを信仰していたという。

共産党へ受け継がれたイルミナティの教義

 ドイツ人秘密結社「正義者同盟」はイルミナティの外延組織であり、1847年6月、ロンドンの会議で「共産主義者同盟」と名を改めた。同年11月「共産主義者同盟」はマルクスとエンゲルスに宣言の起草を委託し、翌年2月21日には「共産党宣言」として出版された。これ以降、共産主義運動が活発化していく。

 イルミナティの綱領と「目的達成のためなら手段を選ばない」との教義は、すべて共産党に継承された。例えば、共産党宣言では「共産党員は自分の観点と意図を隠そうとはしない」「目的は暴力で現存するすべての社会制度を転覆することのみで達成される」と主張する。レーニンは、「我々はすべての詐術、陰謀、欺瞞、狡猾、違法手段、隠ぺい手段を駆使しなければならず、真相を覆い隠さなければならない」と公言した。

 残虐と欺瞞は、共産党政権の共通性だ。共産主義の学説は、「この世のユートピア」を創造するとのスローガンで人々を騙し、実際には人類社会の形態を壊してきた。人類に対する敵対意識は、共産主義者の共通点と言えよう。近年明らかになった文献と学者の研究によると、マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンは全員、悪魔崇拝者であることが明らかとなっている。

キリスト教徒から悪魔崇拝者になったマルクス

 カール・マルクスはかつてキリスト教徒だったが、大学在学中にヨハンナ・サウスコットの主催するサタン教に入信したため、悪魔崇拝者となった。


マルクスが父親に宛てた手紙の中には、「私は一つの殻を抜けた。私の聖なるものは抜け去り、新しい霊が入らなければならない」と書いた。マルクスの息子エドガーが1854年3月21日に彼に宛てた手紙では、「親愛なる悪魔へ」で始まっていた。


他にもマルクスは詩作や演劇脚本の中で幾度も「神に対する復讐を熱望する」と書き、全世界に対する「憎しみ」を多く現した。例えばマルクスは詩「絶望者の呪い(Invocation of One in Despair)」で、「呪いと運命の刑器のなかで、一つの霊が私のすべてをかすめ取った。全世界は消え去り、残ったのは恨みのみ」と書いた。


 マルクスが学生時代に書いた脚本「Oulanem」のなかで、彼は「全人類を地獄に引きずり込むために存在している」とつづっている。「私の力に満ちた若い両腕は、爆発的な勢いで、お前をつかみ取って砕いてやる、人類よ。暗黒の中で、無間地獄の裂け目は私とお前に同時に開き、お前はそこに堕ちる、そして私は大笑いしてついて行き、お前の耳元でささやく:『さあ私と共に降りよう、友よ』」。


 マルクスはドイツ人、中国人そしてユダヤ人を憎み、彼らを「卑しい商人」と軽蔑した。ロシア人を「能無し」と貶し、スラブ人は「ごみ」で「反動的な」人種だと罵った。マルクスは人類を「クズ」「アホで間抜け」だと見下した。


 マルクスは著作の中で無産階級のために奮闘すると主張しつつも、無産階級を「アホ、悪人」と自らみなした。


 事実上、マルクスは全ての神を憎み、「共産主義」を信じたわけではなかった。彼は「共産主義」を罠として利用し、無産階級や知識人を誘惑してサタン教の教えを実現するために利用した。

(翻訳・王文亮)


続いて「【フェイクニュース研究】様より

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元CIAのデーブ・スペクター「SMAP解散、本人達の希望ではない」…CIA分裂や山口組分裂の影響


2017-01-19 22:15:44

テーマ:トランプ vs. CIA

(1)SMAP分裂騒動の知られざる真実!

http://ameblo.jp/cpa-togo/entry-12156442172.html

これは、ジャーナリストのベンジャミン・フルフォード著「闇の支配者最後の日々」の要約であり、日本のヤクザに詳しいベンジャミン氏ならではの記事である。

これまでありえないと思っていたことが、現実の世界で起こるようになっている。その一つが「SMAP分裂騒動」である。

この分裂騒動の原因になっていたのが「山口組分裂」の影響だった。まず奇妙だったのは、「どうして分裂騒ぎだったのか」にある。これが解散、独立、移籍ならば、それほど違和感は無かった。

日本の暴力団は先進国でも類を見ない存在で、犯罪行為を前提とした集団が街のど真ん中を代紋を掲げて組員たちは堂々と「ヤクザ」を名乗って生活していたのである。このありえない状況になったのは、「CIAの下請け組織」が理由の一つである。戦後、CIAを筆頭としたジャパンハンドラー達はヤクザを利用することが多かった。数々のダーティワークにヤクザを利用してきたのである。そこには政治家や要人の暗殺も含まれる。(抜粋)

(2)山口組分裂がSMAP分裂の本当の裏事情

http://ameblo.jp/cpa-togo/entry-12156764360.html

芸能界とヤクザ、そしてジャパンハンドラーのCIAと言う構図を理解すれば、この分裂騒動の背景も見えてくる。

SMAP分裂の背景には山口組分裂があり、弘道会と神戸山口組の代理戦争だった。

山口組を支配していたCIAが2つに分裂した為、山口組も分裂したのであり、今回のSMAP分裂騒動も起きたのである。

(3)CIAが分裂したから山口組も分裂した!

http://ameblo.jp/cpa-togo/entry-12157111912.html

山口組の「親分」はCIAである。戦後、CIAは暴力団の一部組織を非合法活動のエージェントとして雇用してきた。暴力団に「汚れ仕事」をやらせてきた。また、CIAから直接エージェントを送り込んだときの「隠れ蓑」として利用してきた。日本の暴力団が「マフィア」でありながら、堂々と代紋を掲げてきたのは、こうした裏事情があったからであり、警察も潰したくても潰せなかったのである。そのCIAが分裂した。当然子分である日本のヤクザも分裂することになる。

CIAは組織上、2つの命令系統が存在する。1つは国務省、もう1つが国防総省、ペンタゴンである。CIAはアメリカ中央情報局と言う諜報機関で、戦時中はペンタゴンの指揮で諜報活動に従事するし、平時にはアメリカの外交を司る国務省が管轄する。アメリカは年柄年中どこかと戦争をしている。CIAは国務省のセクションとペンタゴンのセクションの2系統でフル稼働しているのである。つまり、CIAの分裂は、ペンタゴンと国務省が割れて対立するようになったからである。(抜粋)

SMAP解散「本人たちの希望ではない」 デーブ発言に「よくぞ言ってくれた!」 2017/1/ 6

http://www.j-cast.com/2017/01/06287555.html?p=all

SMAPの解散理由は最後までメンバーの口から語られることはなかった。スポーツ紙や週刊誌では「メンバーの不仲説」が取り沙汰されてきたものの、真相は今も分からない。

そうした中、「解散は本人たちの希望ではない」とテレビ番組で主張した人物が注目を集めている。テレビプロデューサーのデーブ・スペクターさんだ。

デーブ・スペクターやあの女性タレントもCIAだった!? CIA疑惑を見分ける7つの方法とは? 2013.07.25

http://happism.cyzowoman.com/2013/07/post_2781.html

遠い存在のようで意外と近いところにいるCIA。実は日本にも3000人以上のCIAが、そこかしこに潜伏しているという。CIAが潜む場所はさまざま。大手企業、政界、芸能界など。一時、デーブ・スペクターがCIAだというウワサがネット上を駆け巡ったことを覚えているだろうか。そのことについて、事情通のA氏はこう語る。

「デーブ・スペクターは、確かに一時エージェントだった。しかし、ウワサになった頃には、とっくにエージェント契約が終わっていた。有名人は目立つので諜報活動が難しいですから。エージェントは、あくまでも一般人を装っていることが多いです」

A氏によると「美少年ばかりを集める大手芸能プロダクションは、当初は米軍へのハニートラップのために集められた工作集団でした。もちろん幹部は、その当時CIAの息がかかっていましたよ。今でもこの名残で政治家とのパイプは強いはずです」(抜粋)


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2016-12-16 08:40

あの頃のSMAPにしか歌えなかった意外な“反戦ソング”


様々な角度からSMAPに迫る連載番外編。ファン投票により収録曲が決まったベストアルバム『SMAP 25 YEARS』を元に、毎回、彼らの音楽を紐解いていきたい。今回注目するのは、シングル発売のなかった2004年の翌年に発表された「Triangle」。SMAPにとっても異色の“反戦ソング”、そしてファン投票1位の「STAY」が意味するものとは?

◆シングル発売しなかった2004年、“紅白”出場も辞退

 2004年、SMAPはシングルを1枚もリリースしなかった。

 「世界に一つだけの花」が“ダブルミリオン”を記録した翌年のことだ。この年、香取慎吾はNHK大河ドラマ『新撰組!』に主演、SMAPがデビューして以来初の“ライブツアーのない1年”であり、「シングルを発売しなかったため、披露する曲がない」という理由から、その年の『NHK紅白歌合戦』出場も辞退している。

 とはいえ、個々のメンバーの新しい分野への進出ぶりは目覚ましく、中居正広は同年TBSの五輪キャスターに就任、木村拓哉は、ウォン・カーウァイ監督の映画『2046』が公開され、『ハウルの動く城』でジブリ映画の声優に抜擢された。稲垣吾郎がストーリーテラーを務める『本当にあった怖い話』(フジテレビ系)のレギュラー放送が始まったのもこの年だし、三谷幸喜脚本の映画『笑の大学』では役所広司と丁々発止の会話劇の中で、現在に通じる“コメディセンス”を存分に発揮していた。草なぎ剛は、“僕シリーズ”の2作目、『僕と彼女と彼女の生きる道』(フジテレビ系)をヒットさせ、また全編韓国語の日本映画『ホテルビーナス』も話題となった。

 ツアーのない夏。SMAPと一緒にはしゃげない夏。それは、ファンの心にちょっとした空洞感のようなものをもたらした。けれど、でも夏の終わりに、香取主演の映画『NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE』が公開されたりして、ファンは物足りなさを感じつつも、「来年はきっとすごいお祭りが待っている!」と信じさせてくれるパワーが、それぞれのメンバーには漲っていた。

◆「世界に一つだけの花」の呪い? 国民的ソング路線とライブの爆発力

 翌2005年にリリースされたシングルは3枚。1月リリースが「友達へ~Say What You Will~」で、なんと、作曲を手がけたのはエリック・クラプトンだった。作詞は竹内まりや、編曲は小林武史と、これぞ当時考えられる最強タッグが実現!という布陣だったが、正直、待ち望んでいた新曲としては、肩すかしを食らった気分だった。曲がどうのというよりも、「“あの”エリック・クラプトンがSMAPに曲を書き下ろしてくれました!」的ビッグネーム先行のリリースが、内容よりも権威が重視されているようで、漠然と、「世界に一つだけの花」の呪いというか、“また引き続き国民的ソングを歌い続けます”という宣言のようで、SMAPが守りに入ってしまった気がしたのだ。

 でも、7月には宮藤官九郎作詞の「BANG!BANG!バカンス」がリリースされ、ツアータイトルも『SMAPとイク? SMAP SAMPLE TOUR』と遊び心のあるものだったし、シングルとツアーとアルバムの合わせ技で、お祭り的SMAPが帰ってきた嬉しさはあった。シングル曲のように、“1曲”で今のSMAPを表現されても、不満が残ったり、趣味が合わなかったり。大勢の欲望や願望を満たすことは難しい。でも、コンサートでなら、絶対にSMAPは期待を超えるエネルギーや輝きを見せてくれた。

◆哲学的な“反戦ソング”「Triangle」が選ばれた理由

 前置きが長くなってしまった。これは、アルバムレビューの第4弾なのだけれど、全50曲を10曲ごとに区切ると、31曲目に当たるのが「Triangle」で、正直を言えば、この曲がリクエストの20位に入ったことが、少々意外だった。その理由は、「友達へ~Say What You Will~」同様、その歌詞やメロディに若干“守り”のようなものが感じられたからだ。「Triangle」は、この『SMAP SAMPLE TOUR』で初披露され、草なぎ剛と香取慎吾がメインパーソナリティーを務めた2005年の『24時間テレビ』(日本テレビ系)でも歌われた。そこから話題になり、シングル化を望む声が多数あがったことから、11月にSMAP38枚目のシングルとしてリリースされたのである。アンチとまでは行かないが、あまり「世界に一つだけの花」に心酔していなかった私は、“SMAPの曲に、こういう道徳的な路線が増えるのはイヤだなぁ”という気持ちがあって、「オレンジ」を手がけた市川喜康の楽曲であるにも関わらず、この曲に強い思い入れはなかった。

 どうしてこの曲がこんなに上位なんだろうと疑問に感じ(失礼!)、ビクターのサイトで、リクエストした人たちのメッセージを読んでみた。すると、本当に、リクエストした人たちが“この曲と歩んだ物語”が切々と綴られていた。若い世代にとっては、“教科書に載っていた”という事実も、歌と歩む物語を生み出す上での手助けになっていたのかもしれない。とはいえ、あらためて歌詞を読み、歌を聴くと、世の中とそこに生きる人々を見守る視線に含蓄がある。「世界に一つだけの花」が絵画的なイメージなら、こちらはむしろ哲学的で、9.11以降の平和を祈る“反戦ソング”として、さまざまなことを思考させる。情報が溢れ、不寛容が蔓延し、正解ばかりを模索する時代に、“絶対に思考停止をさせないぞ”とでもいうような、力強いメッセージが漲っている。ある意味、この時代のSMAPにしか歌えない曲だったのだろう。彼らは、年末の紅白で、大トリとしてこの曲を披露した。

◆「Triangle」と「STAY」、誰かの支えとなり特別な意味を持つ

 人が生きていく上で、物語は必要か。音楽は必要か。絵画は必要か。娯楽は必要か。それは、エンタテインメント業界の人たちと話しているときに、ときどき出てくる話題である。物語も、音楽も、絵画も、コンサートも、たしかにライフラインではない。でも、人が生きていく上で、“これがあるから頑張れる”とか、“あの瞬間を思い出すと、つらいことも乗り越えられる”と思える、宝物のような時間を胸に生きている人は、たぶんきっと多い。「Triangle」は、誰かにとっての心の支えになっている曲で、その楽曲のポテンシャルから言えば、また何か大きな諍いや対立や扮装があったとき、この曲が人々の心に平安をもたらすこともあるのかもしれない(でももちろん、そのときこの曲を歌っているのは、SMAPの5人であってほしい)。

 「Triangle」に関する考察から、今度はなぜ「STAY」が1位になったのか。その理由について思いを馳せる。まずは“たったの50年、一緒に”と歌う歌詞が、ファンの祈りに重なったこと。アルバム『SMAP AID』のリクエスト上位曲が『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)で発表されたとき、中居が「ディレクターに、木村にAメロ全部歌わせてほしいと頼んだ」という秘話を披露したこと。そして何より、『CDTVスペシャル! 年越しプレミアライブ 2015→2016』(TBS系)で披露されたこと。その3つの要因が重なって、「STAY」はファンにとって特別な意味を持つ曲になった。あの、“CDTV”でのSMAPの姿は、“これがあるから5人の絆を信じられる”という“たしかな時間”だった。外野ではなく、SMAPの声に耳を傾けること。「STAY」をはじめとした、彼らの楽曲と歩んだ物語は、ファンにその信念を胸に刻み込ませた。

 ベストアルバム『SMAP 25 YEARS』のジャケットは、Smapの文字が下半分にレイアウトされている。25年は、1位になった「STAY」で歌われる“たったの50年”のちょうど半分。それが、“SMAPとファンの物語は、まだ道の半分だよ”というメッセージに思えてならない。

(文/菊地陽子)


続いて「truthmj」様より


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マイケル・ジャクソン「SMAP×SMAP ドッキリ!」出演時のギャラは2000万円の真相

2018-08-30 12:04:30

テーマ:2006スマスマ出演の背後にあった戦い

2006年5月、児童性的虐待訴訟の無罪判決後の初インタビュー。

ロンドンのハロッズのオーナーであるアルファイド氏による手引きがあったのか、

ボディガードはなし、ルワランバなどの監視役を伴うことなく、

マイケルはノーメイクの自然体で、女性記者を力強くハグし、

快活なトークで、サングラスの奥には作り笑顔ではない、

心からの喜びを表す眼差しがありました。(^_^)


米国ではなく、旅行先のロンドンでの公の活動で、

ボディガードも、監視役であるルワランバも伴っていないとは、

いったいどうしてそんなことが可能になったのか、

当時のマイケルにしては極めて珍しいことでした。

先回までに考えてきましたように、MJの戦いの背後には、

人間の目には見えない領域での霊的な戦いが関係していたからです。

悪魔崇拝者が仕えている神である悪魔サタンと、サタンに組する悪霊たちは、

万物の創造者が目的があって一時的にお許しになること、

それ以外のことは出来ないのです。

誰もが、この時のMJは、2005年裁判で無罪を勝ち取ったものの

深く傷ついた彼が、ようやく元気を取り戻し復帰する気になったのだと

そう信じていました。

それで、「彼は、一層元気になるために、大好きな日本のファンに

会いたいと切望し、突然来日した」という名目になっていました。

しかし、それは表向きのカモフラージュであり、

実際にはそうではありませんでした。

無罪判決は、彼が勝ち得たものではなく、

敵達のシナリオ通りの結論だったからです。

マイケルの戦いは、BAD期頃からずっと続いてきたのであり、

この時、彼が行動を開始したのは、待ちに待った12年ぶりの手紙、

彼の力の源であるMILKさんからの手紙を奇跡的に受け取っていたからでした。


2006年MTVジャパン 

MJは、ロンドンでのインタビューの直後に来日し、MTVジャパンアワードで

賞を授与されるためにステージに立ちました。


「初めに、MTVジャパンに感謝します。光栄だよ。

でも何よりも、日本の皆さんをとても愛していると伝えたい。

この場に立った時に感情的にならないようにと、

僕は自分の心に誓っていたんだ。

あなた方はとてもスィートで寛大で親切な人たちだと、

僕は心の底からそう思うから、ありがとう。

世界中のファン、日本のファンに心の底から感謝するよ。

いつも僕のそばにいてくれた子どもたち、プリンス、パリス、ブランケットにも

感謝している。彼らをとても愛しているんだ。

それから、僕を信じてくれたすべての人々に感謝する。

僕もあなた方を信じてる。とても愛しているよ。皆さん本当にありがとう」。

      彼は、「この場に立った時に、感情的にならないようにと、

      自分の心に誓っていたんだ。」と語った。

MTVジャパンはまだ歴史も浅く、本場アメリカのMTVと比較すると

見劣りすることは確かです。

しかし、そんなことには関係なく、かつての数々の栄光ある受賞シーンでは

見られなかった感情溢れるスピーチをしたMJ。

この時の彼の喜びは、自分のそれまでの功績を高く評価されて、

賞を獲得したことにあったのではありませんでした。

何故かと言いますと、彼のスーパースターとしての栄光が、

何のために維持されてきたのかを考えれば分かります。

彼の特異な才能や音楽の価値ゆえ、というのは表向きの名目であって、

実際には、MJの栄光とは、悪魔から付与されたものでした。

具体的には、悪魔の直属にある闇の支配者の目的のための道具、

人類の思考を家畜化するため、人類が自覚のないままに悪魔を崇拝するように

誘導する道具として働くための栄光であり、

さらには、ジャクソンファミリーの名声を保つため、

彼等の金づるであり続けるための価値であり栄光であったのです。

THIS IS ITで、自分のキャリアを象徴する赤いジャケットを燃やすという

演出を演じる際、

(これは、悪魔崇拝者のネットワーク全体が崩壊することを示唆した演出でした。)

MJが、リハーサルの時でさえ、「燃やせ!」と激しい怒りを表す表情を

見せていたのはそのためでした。


ですから、2006年来日の際のMJの喜びのワケとは、

世界中の誰も理解していなかった長きにわたる彼の戦いが、

ついに、勝利に導かれる兆しが見え始めていたからでした。

 

◇2006年来日の最大の目的とは?

MJが突然来日した最も重要な目的と言えば、2002年にネバランに届いていた

MILKさんからの手紙を、彼が奇跡的に受け取ったということを、

MILKさん当人に知らせることでした。

それが起きたのは、その手紙がネバランに届いてから4年も経過した後の

ことでしたから、当時のMILKさんは、

そんなことが起きているとは、全く予期することが出来ませんでした。

そんな彼女に、MJは、「4年前に届いた手紙を発見したんだ」と、

激しい抵抗の中で、

いったいどうやって確実に知らせることができるのでしょうか。

一方、この時、キャサリン側がなすべきことは、

「MJの来日は、4年前の手紙とは何の関係もない。彼は、ただ単に、

日本のファン達に会いたくて来日したに過ぎない。」とMILKさんに思わせること、

つまり、「MJの試み」が失敗に終わるように仕向けることでした。

ここで、たいへん興味深いのは、キャサリンサイドが、

MJの試みを失敗に終わらせたいのであれば、

(事実、「MJの試み」に対して幾つもの妨害行為を仕掛けていました。)

そうであれば、そもそも、MJが来日することが出来ないように圧力をかければ

何より手っ取り早かったはずではないでしょうか。

しかし、彼等は、彼等に許された範囲のあらゆる妨害行為はしていたものの、

MJの来日、それ自体を留めることは出来なかったようです。

2006年の来日の際には、どんな戦いが展開されていたのでしょうか。


まずは、MTVジャパンによる密着取材映像から確認してみます。

MTVアワード受賞式の会場にMJの一行が到着するシーンで、

マイケルが乗っていたバンから降りてくる同乗者の中に、

監視役のグレイス・ルワランバの姿があります。


この女は、MJの死後わずか二日後のロングインタビューで、

ふてぶてしく笑みを浮かべながらMJに対する憎悪に満ちた嘘を語りました。

その際、『私は前年の12月に解雇された、MJ死亡当時はロンドンに滞在しており、

そこで彼の死を知り、子ども達に会うために急きょ帰国した』と語りました。

   ※「スイスの別荘に居た」と語ったという説もある。  

しかし、実際には、彼女は事件当時に現場に居たことが判明しています。

当時の料理人であるカイ・チェイスは、救命隊が2階に上がったとき、

3人の子ども達と、子ども達のナニーと、自分とハウスキーパーが

手を握り合って祈ったと証言し、

MJのパーソナルアシスタントだったマイケル・ウィリアアムスは、

MJ(遺体)が救急車で運ばれた後、3人の子ども達とナニーと一緒に

UCLA医療センターに向かったと、マーレー裁判で証言しています。

    コンラッド・マーレー裁判 2011/9/28

目撃者が何人もいるにも関わらず、アリバイ工作をしていること、

衝撃的な死の知らせのわずか二日後に、

ふてぶてしい笑みを浮かべてインタビューに答え、大胆に大嘘を語ったこと、

その他の様々な状況証拠から、

彼女はMJ殺害の実行犯の一人であったと考えられます。

  ◇MJ死亡事件―警察による現場検証は行われていなかった

ルワランバは、子ども達のナニーという名目のもとに、MJの監視役だけでなく、

MJに強制奴隷労働を課すための具体的な指示を出す役割が与えられていたようです。


 この戦いの背後で、実在する天使たちの攻防がある

 という点を理解するためにー

◇MJに少しの自由も許されてなかったと分かる事例

一例として、2002年、ベルリンのホテルのバルコニーでのあのスキャンダルの

ネタ作りは、キャサリンの代行としてMJに密着していたルワランバの指示を受け、

強制的にやらされたことであったと思われます。

 MJの背後にルワランバがいます。


全編がキャサリンサイドによる台本だった偽ドキュメンタリー

「Living with Michael Jackson」で、MJは、

「ファンが赤ちゃんを見せて!と言ったからそうしただけなんだ」と、

言い訳のセリフを語らされていました。


おそらく、側近に話を持ち掛けられ、「赤ちゃんを見せて」コールをすることで、

このスキャンダルネタの演出に加わったファンには、

このような特権が与えられたと推測出来ます。


こうして”見せびらかす”ことにより、優越感を味わうために、我も我もと

彼等と同じように行動するように他の大勢のファンを誘導していたのです。

以下は、”ファンとの交流”を撮影した動画ですが、

MJは、窓際に出て指をさす仕草をしたり、親指を立てたり、

レースのカーテンで顔を隠して恥ずかしがって見せる演技をしたり、

赤ちゃんポスターを受け取って喜んでいるかのように振る舞うなどして、

次々とファンを興奮させるためのサービスをするように、

何度も、何度も、何度も、繰り返し指示されていたことが分かります。

MJの表情から、彼が”この交流(お遊び)”を、

少しも楽しんでなどいないことが分かるはずです。


キャサリンサイドの策略により、ファンは、彼の名を叫び、赤ちゃんポスターを

示しさえすれば、マイケルは喜んで自分たちの望むサービスをするはずだと、

そのように学習させられてしまったのです。

ファンに罪はありませんが、

当時のMJは、ファン達の性的興奮を搔き立てる麻薬性の「薬物」か

「おもちゃ」のような存在にさせられてしまっていました。

そのため、ファンは、彼の人間としての尊厳や個人的な必要のことなど、

全く気に留めることが出来ない状態になっていたと言えます。

彼等の関心事は、自分たちが興奮するためのサービスを

彼に要求することだけになっていました。

前の晩まで、徹底的にファンに仕えさせられたMJでしたが、

ベルリンでの最後の日には、奴隷としての彼に対する命令は止み、

ようやく、この種の強制奴隷労働のスケジュールから解放されていたようで、

この日は、ファンが呼べど、叫べど、歌えど、赤ちゃんポスターを

ズラリと並べようとも、MJは一度も姿を見せなかったようです。

昨晩までとは打って変わり、夜になっても一向に姿を見せないMJを、

赤ちゃんポスターをエサにして呼び出そうとして盛り上がる女性ファンたち。

(2:45~)  


こうして彼は、命じられるままに、自分の人格を破壊するような演技を、

自分自身で演じなければなりませんでした。

このベルリン旅行には、あのマーチン・バシールとの偽ドキュメンタリーの撮影

という強制奴隷労働までがセッティングされていたのです!

そして、その偽ドキュメンタリーは、2度目の児童性的虐待ねつ造訴訟という

莫大なギャラに結び付くネタ作りへと、シナリオが完成していたのです。

キャサリンとそれに組する者たちの何という貪欲さ!

何という悪質さなのでしょう!

しかも、このベルリン旅行直後の12月初旬には、

エイブラム裁判に出廷することになっていたのです。


このネタ作りのためですよ。


ですから、彼の活動のほぼ全てが、強制奴隷労働状態になっていました。

わずかの自由さえも許されていなかったことが読み取れます。

こうして何年にもわたり、キャサリンの代行として彼に悪意に満ちた命令を

下してきたあのルワランバが、MJ殺害の実行犯と考えられるこの女が、

2006年来日の際にも、MJに張り付いていたのです。


ただし、2006年のこの時は、それまでとは何かが異なっていました。

MJには、”聖書預言に関係する自由”が与えられていたのです。


◇MJの活動に対する見えない領域からの援護

まず第一に、手紙を発見してから時を移さず早々に、

MILKさんへの返答のための突然の来日を果たすことができていました。

何故か、このタイミングで、「MTVジャパンアワードで受賞」という

格好の来日の名目がセッティングされたことになります。

この時、ステージに立った時のMJのスピーチは、

強制奴隷労働ではなかったことは、一目瞭然でした!


MILKさんの注意を惹くために、まず一歩前に進んだことになります。

つづいて「MTVジャパンの密着取材」動画より

  

MTVジャパンの授賞式会場にマイケルが乗ったバンが到着すると、

マイケルの一行とナニーのグレイス・ルワランバが降りてきます。(3:30)


そして、とにかくセキュリティの数がやたらと多かったのです!

旅行先のロンドンで、無罪判決後初のインタビューを受けた時は、

ボディガードも、監視役であるルワランバも来ていなかったのに、です。

   

(4:23 番組のナレーションより)

「レッドカーペットを歩き終わったマイケルは

大統領並みのセキュリティたちを引き連れ、一旦楽屋へ向かった。」

「どいて!どいて!どいて!」 (威嚇するMJのセキュリティ)

(4:34):「セキュリティは全部で何人いるの?」

     

    :「あ~、30人?40人かも...、とにかく大勢。」


ここで、ちょっと立ち止まって、考えてみてください。

MJのこの意表をつく突然の来日で、大統領並みのセキュリティたち、

30人とか、40人のセキュリティ体制が必要だったと思われるでしょうか?

しかも、この日本で、ですよ!

授賞式には日本のスター達も多数出演するため、

それなりの警備体制は敷かれていたはずです。

それに加えて、この日本で、MJ一人に対して30人~40人ものセキュリティ、

大統領並みのセキュリティによる警備は、

どう考えても必要ありませんでした。

これは、いったい何を想定して警戒した対策だったのでしょうか。

   「万が一、MILKさんがMJに会うためにやってきたとしたら......。」

このように想定した対策だったのではないでしょうか。

これまでの経験から、MILKさんの背後で、エホバの側の天使たちによる

援護がある可能性があると想定できるので、それを警戒したキャサリンサイドは、

「40人セキュリティ体制」を敷いたのではないでしょうか。

ですから、この時、そもそも、MJを来日させなければいいものを、

敵達は、「この来日を阻止すること」は出来なかったものと推測できます。

2006年の戦いの順番が前後しますが、今日の検証では、

MJが日本を離れた直後のキャサリンサイドによる攻撃の一つを

分析しておきます。


結論を言いますと、MJが、MILKさんへのメッセージを残すことに成功したのは、

スマスマに出演した時のことでした。

そのため、キャサリンサイドは、MJのスマスマ出演に対し、

ケチをつける必要がありました。

「スマスマ出演は、4年前の手紙とは関係ない。

マイケルが金に困っていたため、出演料を稼ぐためだった。」

ということにするため、MJのスマスマ出演が放送された直後に

以下のような情報を流していたのです。

「スマスマ出演料は2000万円 マイケルジャクソンのギャラ」

『今週の放送の「スマスマ」にマイケル・ジャクソンが出演した。

SMAPもマイケルの出演を知らされておらず、

ドッキリという形でマイケルが出演。

探偵ファイルによると、この時のマイケルのギャラは2000万円

といわれているという 。

正確には「ドル払いでの対応」だったようで、20万ドル。

“金欠”と言われているマイケルにはありがたい収入だったのでは?

この「マイケル、スマスマ出演」には裏話が。

実は、マイケルのトーク収録中に取り直しが行われていたというのだ。

その原因とは....

「中居があまりに力を込めて握手してしまい、マイケルが怯えてしまったから」

らしい。(引用は「探偵ファイル」)

ビデオで確認してみると、マイケルがSMAPメンバーと握手する手前で

一回編集が入っているという。』

その後、松本人志と放送作家の高須光聖氏とのラジオ番組『放送室』で

さらに話が続いてゆきます。

https://blog.goo.ne.jp/hanger5/e/bd64198227bda35b729cad5864796b04

“マイケル、SMAP×SMAPに出演”を実現させたのは同番組プロデューサー

の黒木彰一さん。

黒木さんはマイケルサイドとの出演交渉も自ら行ったが、、

マイケルのギャラは現金じゃないとダメだと言われた。

だから黒木さんは数千万の現金を持ってマイケルのホテルかなんかに

出向いた。その時はもうある程度話はまとまっていて、2時間の約束で

収録を行う予定でした。

そうしたら、スタッフみたいのがエレベーターで降りてきて

「マイケルが、もう少しギャラ上げてくれって言っている。

マイケルが言っている。」って言われたそうです。

その場で値段の交渉をして、最終的にこの値段で2時間って決定しました。

そして内容はビリヤード。

マイケルとそのマネージャーもビリヤードならOKってことで交渉成立です。

すぐに、スマスマのスタッフに連絡を取り準備に取り掛かりました。

そこでさらにマイケルサイドから要求。

「マイケルはケンタッキーが大好きだから、ケンタッキーを山程用意してくれ」

ケンタッキーを楽屋に山程用意して彼の到着を待っていた

のですが、マイケル全然ホテルから出てこない....。

45分経ってようやくマイケルがホテルを出発しました。

そんでスタジオに到着し、楽屋に入りました。

そこから、さらに45分楽屋から出てこない。

そして、いよいよ楽屋から出てきたと思ったら、マイケル、

ケンタッキーの油で口の周りテッカテカ!!その付き添いの外人達全員テッカテカ!!

皆で食ってやがったんですってwwwwこれで90分の遅れ。.....』

(抜粋終わり)

上記のネタの言わんとすることの要点は、以下の3点です。

⑴マイケルのトークの収録中に撮り直しが行われていた。

 その原因は、中居君がマイケルの手を強く握りしめたため、

 マイケルが怯えてしまったから。

⑵マイケル側とテレビ局側の交渉が終ったあとに、

 スタッフみたいのがエレベーターで降りてきて、 

 「マイケルが、ギャラ上げてくれって言っている。」と言われた。

 ギャラは現金でないとだめで、ドル払い(20万ドル)だった。

⑶ケンタッキーを楽屋に山程用意してくれと要求し、スタジオに着くなり、

 楽屋でそれを食べるのに45分間もかけるという常識外れぶりであった。

今回は、⑵の「出演料20万ドルの真相」だけに焦点を当てて分析します。

スマスマの番組の中に、マイケル側と番組スタッフとの交渉の場面があり、

マイケル側の交渉相手として、当時の広報レイモン・ベインが描写されています。

(動画3:27)

ですから、ここまでは、MJの正規の代表者との交渉だったと言えます。


しかし、その交渉の直後に、「エレベーターで降りてきたスタッフみたいの」

というのは、これは、これまでの積み重なる証拠からして、

ジャクソン家側の人間です。

ジャクソン家側の「スタッフみたいなの」による要求事項が、

これまでの検証によって判明した事実と完全に合致します。

すなわち、ギャラの水増し、詐欺の他、現金でないとだめという特徴です。

さらに、スマスマ出演料の20万ドルは、ジャクソン家側でシェアーされたことを

裏付ける強力な証言が存在します。

それは、MJ死亡事件の二日後、

グレイス・ルワランバへのインタビューで語られた話です。

(ルワランバは語る。)

『ルワランバは、ジャクソン(MJ)はお金に関して無知で愚かだった、

 と語った。

「日本での仕事のために100万ドル(1億円)の提案を受けたのに、

マイケル側の全員でそれをシェアーしたら、結局、

20万ドル(2千万円)にしかならなかったのよ。」』

Ms Rwaramba said Jackson was clueless about money –

and that once he got a $1million (£600,000) job in Japan,

but only received $200,000 after all his people took their share.

http://www.dailymail.co.uk/news/article-1196022/I-love-babies-I-miss--Michael-Jackson-froze-Former-nannys-shocking-revelations.html

https://www.theguardian.com/music/2009/jun/28/michael-jackson-death-nanny

ルワランバのこの発言は、明らかに、スマスマの出演料を指しています。

おそらく、彼女が不平を鳴らしたのは、こういう意味であったと推測できます。

「日本のテレビ出演で、彼がもっと多くの演目を果たすなら、

1億円で交渉成立するはずだったのに、彼はそうしなかった。

馬鹿よね。

だから、あたしたちの取り分が、20万ドルにしかならなかったのよ。」

殺害直後に、このような発言をしていたことから、

彼女が、この時のことを、深く根に持っていたことが読み取れます。

よほど悔しかったのでしょう。

映像からすると、スマスマ出演時に、MJに同行したセキュリティは一人で、

ルワランバは同行していなかったのです!

同行しようとしたが、それが出来なかったとしか考えられません。


マイケルが2階のスタジオサブから出て、スマスマのダンスナンバーが止まった後、

何か不思議な音(ノイズなのか....?)が入っています。

特に座って話しているシーンで不思議な音が大きく聞こえてきます。


続いて「日本財団」様より

シェア、掲載。


ありがとうございます。

感謝です。

2020.04.27

新しい地図・日本財団「for you だけど for meでもある」「LOVE POCKET FUND」始めます


4月27日、新しい地図と日本財団は「LOVE POCKET FUND」(愛のポケット基金)を始めます。

「for youだけどfor meでもある」

“あなたのため”が“自分のため”になる、の言葉を胸に、「誰かにやさしくすることで自分も幸せになれる」、そんなファンドを目指していきます。

同基金が生まれるきっかけは昨年にさかのぼります。「新しい地図」が始まってから2年という節目に、「どんな時でも応援していただいている皆さん(NAKAMA)の支えにより現在の自分たちが存在している、この感謝の気持ちを何かの形にしたい」という新しい地図の申し出に、日本財団が応え、協力を決定しました。「皆が一つになった時にそれが大きな力になる」との思いから、一つのポケットに皆さんの愛を入れていく「愛のポケット基金」構想が誕生しました。主に『生きにくさ』を抱えている女性や子供への支援や高齢者・地方創生に係る支援を行っていく基金を、2020年春に立ち上げ、ファンミーティングにて発表するよう準備を進めていました。

そんな矢先、新型コロナウイルス感染拡大という世界中を巻き込む大きな禍に飲み込まれてしまったため、まずはコロナ対策に取り組むことを決意。最前線で今日も私たちの為に頑張ってくださっている医療関係者やそのお子さんを含めたご家族の支援や両親・ひとり親感染家庭の児童の預かりなどの支援を行うことを目的として、「LOVE POCKET FUND」内に『新型コロナプロジェクト』を立ち上げる事となりました。

同時に、「『新型コロナプロジェクト』のポケットに、『新しい地図』で皆さんから受けているたくさんの愛情と共に、3000万円を」入れることを決めました。

今後、同ファンドでは金銭、物資面に限らず支えを必要とする皆さんに寄り添っていく取り組みも展開していく予定です。全支援先、支援内容については「LOVE POCKET FUND」ホームページ上で随時、ご報告していくことになります。

「LOVE POCKET FUND」への参加・支援方法・詳細は公式ホームページへ

外部サイト「LOVE POCKET FUND」

下記、日本財団会長の笹川陽平、稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾による本プロジェクト立ち上げに向けたコメントとなります。


〈日本財団 会長 笹川陽平 コメント〉


かねてより新しい地図の稲垣吾郎さん、草彅剛さん、香取慎吾さんには、災害の時など、協力をしていただいておりました。昨年からは3人のご発案で財団とともに、主に「生きにくさ」を抱えている女性や子どもを中心とした支援や高齢者、地方創生に係る支援を行う「LOVE POCKET FUND」を立ち上げようと準備をしておりました。

そして現在世界中で大きな問題となっている新型コロナウイルスとの戦いは長期化が見込まれ、みんなの協力が必要となっていることに対して何かできないか、「LOVE POCKET FUND」の最初のプロジェクトとして、 新型コロナプロジェクトとして医療最前線で活躍している医師、看護師、ボランティアやその子どもたちの支援などを行ってくことになりました。日本財団は間接経費を一切いただくことなく、皆様からいただいたご寄付はすべて支援活動にしっかりと使わせていただきます。どうぞみなさんのチカラで「LOVE POCKET FUND」をより大きなものとしていきしょう。よろしくお願いいたします。


〈稲垣吾郎〉


事態が収束し、一日も早く全ての人々が穏やかな暮らしを取り戻せることを祈って。これからも一緒に頑張っていきましょう。


〈草彅剛〉


「LOVE POCKET FUND」を通じて、辛い思いをされている方、悲しみや苦しみの中にある方に一緒に寄り添っていけたらと思います。


〈香取慎吾〉


今、僕らの為に頑張ってくださっている方々に、みなさんの愛を届けます。 


お問い合わせ


日本財団 経営企画広報部 広報チーム

メールアドレス:pr@ps.nippon-foundation.or.jp


7 年前

マイケルジャクソン × SMAP - Michael Jackson in Smap

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#YusukeKusuyama 1975 X #楠山祐輔 ➣ #INTERNATIONAL

ChatGPT4o OpenAi Yusuke Kusuyama (楠山祐輔) - プロフィール 生年月日: 1975年10月28日(昭和50年) 出身地: 和歌山県 職業: ソーシャルメディアインフルエンサー、広報担当 特徴: クリスチャントランスヒューマニズムの世界的代表格 保守的なキリスト教倫理観を持ち、国際的に活動

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