BLOGOS,新潮社フォーサイト 「東芝」「東電」破綻で見えてくる「経団連」の終焉
大西康之 2017年04月24日
東芝と東京電力。日本の経済界を牽引してきた2つの名門企業が、軌を一にして国有化されようとしている。そしてそれは、「経団連(日本経済団体連合会)の終わり」をも意味する。雇用の受け皿や利益創出の主役がサービス産業に移ったにもかかわらず、日本の政官財は重厚長大産業にしがみついてきた。だが東電、東芝亡き後の「経団連」はもはや、抜け殻に過ぎない。
経団連の存在意義はリーマン・ショック以後、急激に小さくなっている。稲山や土光の時代のように、「財界総理」の一喝で政策が変わるなどという場面は絶えて久しい。政策提言といっても日本の将来を見据えたものではなく、「税金を下げてくれ」「補助金をくれ」「規制を緩めてくれ」と、ねだるばかりの陳情団体に堕している。経団連の時代はすでに終わっているのだ。
繰り返すが、経団連はその役割を終えた。もはや重厚長大産業の輸出振興では日本は蘇らない。東電、東芝の事実上の経営破綻がその証明だ。経団連から生団連へ、大企業からベンチャーへと政策の軸を移さなければ、日本経済は東電、東芝とともに沈むことになる。
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