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「右翼」も「左翼」もその出自は強盗だ --- 長谷川 良さんより
このコラムのテーマ、右翼と左翼の出自だ。「ルカによる福音書」第23章をみると、イエスが十字架にかかる時、「同時に、ふたりの強盗がイエスと一緒に、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた」という。そして左の犯罪人はイエスに「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれをも救ってみよ」と、イエスに悪口を言い続けた。一方、右の罪人は「お前は同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。お互いは自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしたのではない」と述べ、イエスを証した。イエスは右の強盗をみて、「よく言っておくが、あなたはきょう、私と一緒にパラダイスにいるであろう」と語り掛けたという話だ。この有名な新約聖書の話から、右の盗人は後日、右翼の祖先と見なされ、左の盗人は左翼と呼ばわれるようになった。
左翼の人が「なんといった暴言だ」と批判されるかもしれない。一方、右翼の人は「イエスと共に天国に行けるのはいいが、私はイエスも神も信じていないよ」と弁明するかもしれない。左翼も右翼もその出自は強盗だ。左の強盗は将来、神の存在を否定する無神論世界観の共産主義世界を構築していった。
当方は聖書のどの分類が正しく、どの分類が間違っていると主張しているわけではない。当方はこの欄で「“愛されなかった人”の時代は来るか」(2015年11月27日)というテーマでコラムを書いた。その中で、神から愛されなかったカイン、神を否定する冷たい人、そして十字架上のイエスを罵倒した左の強盗を総称して「愛されなかった人」と呼んだ。そして彼らにも愛される時代がきっとくるべきだと考えたのだ。
翼の人よ、当方は批判しているのではない。カインとアベルが一つにならなければ、神の祝福は得られない。同じように、左翼も右翼も和解しない限り、世界の諸問題を解決できないのだ。ヤコブがいくら願っても、エソウがヤコブを受け入れない限り、両者は勝利者となれなかったのだ。左翼と右翼の思想を昇華する新しいパラダイムの到来が願われる。
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