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見えない「新型肺炎クライシス」の本質とは何か 2020年2月27日 6時0分 東洋経済オンライン
前回は、新型肺炎にからんで「ついに株式市場の『化けの皮』が剥がれ始めた」という話をした。今回は、新型肺炎を別の観点から見てみよう。つい最近まで株式市場が過小反応だったのに対して、一般の人々が過剰反応して、それをさらにSNSとメディアがとことん膨らませたわけだが、今回は「なぜ人々が過剰反応したのか」、という行動経済学の観点から考えてみる。
目に見えない「恐れ」が非合理な行動をもたらす
放射能汚染への恐怖感にも共通すると思うが、人間は「目に見えないリスク」に対しては、過剰反応するか、過小反応するか、いずれにせよ、非合理的に反応するものだ。
実は、合理的に考えれば、ダウンサイド(下落)もアップサイド(上昇)もどこまで行くか分からない、という恐れ(や夢)が非合理な行動をもたらす。例えば、10億円もの現金が当たる宝くじと、10億円でいつでも売れる豪邸だと、普通は前者に対して、より興奮する。無限に未来が広がる気がするからだ(恋愛もそうかもしれないが、これはまたいつか別の時に)。
放射能は、悪影響が目に見えず、検査しても現時点では分からず、積み重ねが後に健康被害をもたらすかもしれない、という不透明さが無限の恐怖をもたらすのだ。今すぐ死ぬということよりも、どんなことになるかわからない、もしかしたら遠い将来死ぬかもしれない、という方が場合によっては大きな恐怖をもたらす。「死」の無限の可能性は、「死」そのものよりも恐怖なのだ。
新型肺炎は、現状では致死率はインフルエンザよりもかなり低い。罹患者数も圧倒的に少ない。それにもかかわらず、インフルエンザに対してついこの前まで、少しの注意しか払わなかった。なのに、現在は恐怖で人々はマスクを買い求め殺到し、電車には乗らず、乗ってもつり革にはつかまらず、会社や学校に行くことも嫌がっている。その中には、つい最近まではトイレのあと手を洗わなかった人も多く含まれている(私の観察に寄れば、駅のトイレで手を洗わない人は半分前後だ)。
この理由は明快だ。インフルエンザには慣れてしまって、かかったことがある人も多いし、周りで必ず誰かがかかっているから、そう簡単に死ぬわけではない、悪いシナリオでも想像できる、あるいは確信出来る、ということが不安を限定的にしている。また、いくつかの薬があることも大きい。インフルエンザには薬があるが、新型肺炎にはまったく薬が効かない、という言葉が恐怖を倍増させている。
ただし、インフルエンザの薬だって特効薬ではなく、治るまで4-5日苦しむところを、2日程度に限定してくれる、というだけのことだ。政府が出した新型肺炎に関する医療機関受診の目安が4日間様子見であるのに対し、「インフルエンザだったらどうするんだ、インフルエンザの薬は最初の2日間しか効かないじゃないか」、と騒ぐ人々がいたが、それは3日目に飲んでも、飲まないのと回復する期間が変わらないから、飲むだけ損だ、というだけのことだ。
なぜSNSやメディアは恐怖を拡散、増幅させるのか?
さて、SNSやメディアがこの恐怖を拡散、増幅させるのはなぜだろうか。批判を承知で言えば、彼らの多くは騒ぐのが目的なので、騒ぎになれば、ある意味何でも良いのである。話題になり、自分の投稿あるいは記事が引用されたり、拡散されたりすればハッピーだから、人々の恐怖感を目ざとく見つけたら、それをとにかく徹底的に煽るのである。
これは社会を不幸にするだけの行為だが、意外と世間から批判も受けないし、ただの煽りだと後ほど判明しても、責められない。要は、人々は忘れてしまっているので、批判することもないのである。だから、ノーコストで暇な人々は、自分の安全を確保した上で、自分と無関係な事件や恐怖をことさら書き立てる。昔は井戸端会議がこの役割を担っていたが、現在ではこの影響は匿名性を持って広がるから、彼らにとっては、快感は倍増しているだろう。
一方、そこまで悪意がなくとも(無意識の悪意もなくとも)、むしろ親切心で人々の恐怖を煽る場合もある。本当に心配して徹底的に対策をする。そして、自分の仕入れた怪しいネット情報を親切心からアドバイスとして友人、知人に触れ回る。始末が悪いのは、それがSNSなどで無限の連鎖で広まるのが現在だ。ただ、悪意があるものよりも、こちらの方が真実味があり、切迫感が本人にもあるから、周りも信じやすくなってしまうから、こちらの悪影響も大きい。
例えば、メディアが何かと「政界再編の可能性、衆議院解散の可能性」と騒ぎ立てるのも、要は同じことで、政治記事は常にネタ不足だから、わかりやすいネタを常に作り上げる。ただし、これにはわれわれも慣れているから、繰り返される「ワンパターンの煽り」は被害が少ない。だが、新型肺炎は、初めての出来事だから、煽りの被害は大きくなる。
より深刻なのは、「専門家だと人々に思われている人物」が恐怖を煽るような発信をする場合である。今回は、これがもっとも話題となった。専門家を使った、あるいは専門家自身による恐怖感の煽りが、社会にとって最も大きな被害をもたらす。
原発事故のときも、菅直人首相(当時)自らが、世界的に論理的とは言えない形で恐怖感を煽り、それを世界に拡散、宣伝した。今回は、ある専門家が横浜に停泊している豪華客船に乗り込み、その中の様子が如何に危険かを伝えた。そして、政府の対応が不十分であることを批判し、「ミスが多く、なされるべきことがなされていない」、という事実を、正義感を持って発信した。
「警鐘を鳴らす=社会のためになる」は正しいか?
しかし、彼のSNSやメディアでの告発の意図がどのようなものであったにせよ、彼は大きな誤りを犯している。仮に、彼の指摘がすべて正しかったとしよう。「政府の措置は理想から程遠く、やるべきことをやっていないという状態」が船内で起きていたとしよう。
もし、それをあなたが発見したら、どうするか。
「これは危険な状態だ! 政府の対応はずさんだ、不十分だ」、と正義感を持って告発するだろうか。SNSでも何でも手法がなんであれ、あなたは社会に甚大な被害をもたらすことになる。なぜか。
それは、あなたが、政府がなぜベストな対応をしていないのが、最適化から外れた行動をとっているのか、完全には理解をせずに、ただ、結果だけを見て、それを世界中に通報しているからである。政府がなぜ部分的に失敗しているように見えるのか、まず考える必要がある。
社会のためになろうと思って、事実を告発して警鐘を鳴らすことに、どのような意味があるか。それが社会のためになるのは当然だと思っていると、それは大きな間違いであり、ほとんどの場合は、社会に悪影響を残すことにしかならない。
なぜか。それは、警鐘をならしても現実が改善する可能性はゼロで、逆に悪化する可能性が高いからである。
さて前回は非合理な行動をとるノイズトレーダーの話をしたが、投資家が非合理的な行動をする、つまり、馬鹿な行動をする場合には3つのケースがある。
投資家が馬鹿な行動をする3つのケースとは?
第1に、その人が本当に馬鹿な場合である。もともと合理的でないから合理的に行動することができない。例えば、ある銘柄を有望と思ってしまうが、その銘柄の良さはすでにみんな知っていて折り込み済みなのに、それに気づかず高値で買ってしまう場合などである。
第2に、目的関数が異なる場合である。リターンの最大化よりも、資金を預かって運用している場合には、預けてくれる出資者の満足を最大化する(あるいは不満を最小化する)ことである。出資者に文句を言われなければ良いのである。運用の場合は、バブルなどのときは、リスクに気づかない、リスクを過小評価する顧客が多いから、リスクを承知でバブルに突っ込むことになる。一方でバブル崩壊後は、いまこそチャンスなのに、顧客(委託者)はリスクに怯えているから、とにかくリスクを最小化する運用が求められる。
第3に、制約条件が厳しく、最適化したとしても「目的関数を最大化しているように見えない場合」である。外からは制約条件がどれほど厳しいのか、どのような制約条件があるのか見えない場合は、実際は制約条件に縛られて動けないのに、傍から観ると何もしていない、努力不足、やる気がないように見えるのである。例えば、GPIF(年金積立管理運用独立法人)などの場合は、内部者にしか分からない政治的な制約や、年金関連の法律の制約がある場合である。
これを、今回の新型肺炎に対する政府の対応に置き換えてみよう。とりわけ、大型客船の内部で、政府関係者がベストの選択肢を取っていないように見える、パフォーマンスが悪く見えるのはなぜか、について考えるとき、この3つのどれに当てはまるか、を考えることは示唆に富む。
ナイーブな人々やメディアは、第1のケースだと、何も考えずに反応してしまっている。そうであれば大きな問題だが、現実の社会でそういうことはほとんどない。彼らは何らかの専門家集団であるからである。
もし批判すべきケースがあるとすれば第2のケースで、かつ、目的関数が非常に不適切な場合、私利私欲による場合である。例えば、選挙のために、わざと感染を拡大しているということがあれば、どんなことがあってもこれを告発しなくてはならない。しかし、今回の場合、それはあり得ない。感染の拡大を最小限に抑え、1日でも早く収束することが、政府にとって何よりも重要であることは明白だ。目的関数の問題は、今回は絶対にない。
では、なぜ今回、政府のパフォーマンスはベストに見えないのか。
これは、さきほどの投資家のパターンで行けば、明らかに、第3のケースである。つまり今回は制約条件が厳しすぎるのである。人が足りない。クルーズ船の船内という極めて難しい環境である。3700人という極めて大人数である。対応する医師、職員、スタッフの数が足りない。新型ウイルスでまだわかっていないことが多すぎる。このような状況では、外部からは想像もしえない厳しさがあるだろう。現段階でできることはすべてやっている。できないから、できないのである。
制約条件がどんどん厳しくなる「負のスパイラル」
このような状況で、「できていない!」 と警鐘を鳴らすとどうなるか。外部の人々は不安になる。パニックに近い行動をする可能性がある。個人個人がこの不安を拡散させることによって、鎮めようとする。だが結果的には社会全体が不安になり、その不安のフィードバックにより、何倍も不安が増幅して自分に帰ってくる。自分が撒き散らしたことで不安が高まったのに、社会が不安にあることで、それに大きな影響を受け、不安になるのである。社会不安のスパイラルとなるのだ。
さらに悪いことに、発信された警鐘と不安は世界を駆け巡り、日本の危機や不安と隔絶された人々は、日本が危険だと思い込むという、事実に基づかないことが、彼らにとっての真実となってしまう。最悪だ。
そして、政府は、社会の不安が倍増した状況で対策に当たらなくてはならない。人々はいろいろな不安を主張する。立場、状況によって、それはさまざまに異なったものである。これらをすべて満足させることはできない。だから、人々のうちの一部の中には必ず不安、不満が増幅される。政府にとっては、彼らに対する説明責任、不安解消努力という厳しい制約条件がさらに加わることになる。そして、政府の対応は、もともとは善意の、ただしナイーブで軽率な警鐘によって、悪化していくのである。
これが今回の危機の本質だ。
さらに、危機管理とは別の、経済的ダメージもきわめて大きくなる。
政治は、人々が過剰反応すれば「過剰2乗反応」をしなければならない。あらゆるイベントは中止に追い込まれ、責任逃れ、説明逃れが蔓延する。無駄に、世界は経済活動や社会活動をも止めてしまう。
少数のクレーマーによって正しい行動はゆがめられる
説明逃れのために、イベントを中止にする、というのは、行動経済学的にいうと、大変興味深い現象だ。
「なぜこんなときに開催するのか」「感染者が出たら責任取れるのか」、という一部のクレーマーに対する説明が面倒なので、開催中止にしておく。このクレーマーたちの中には、実際にはイベントに実際には参加しない、謎のある種の野次馬クレーマーが混じっている(実はその方が多い)。彼らがなぜそんな腹いせ、愉快犯みたいな行動を取るのか分からないが、本人たちは決して愉快ではなく、真剣に心配し、怒っている。
「そんな馬鹿な!」というかもしれないが、世論の圧力というのは、まさに「無関係な他人の余計なおせっかいの心配」であり、より具体的に言えば、テレビのワイドショー、SNSでのつぶやきの拡散と言っても良い。巷はこのようなおせっかいによる風評被害、おせっかいによる営業妨害に溢れている。
一方、不開催による不利益を訴えるまともな苦情に対しては、「このようなご時勢ですから」、と言えば済んでしまう。社会的多数派の圧力である。パニックによる群集心理の罠である。サイレントマジョリティ(沈黙する多数派)は多くの場合正しいが、少数のクレーマーによって正しい行動はゆがめられる。さらに今回は、直接、それぞれのイベントに無関係な群集が多数派を占めるから、開催中止という決定が圧倒的に選ばれてしまう。
このように、今回の危機を行動経済学で冷静に分析してみたが、いかにも空しい。分析するよりも、人々の不安を解消させる方法、沈静化させる方法を見つけることに、私は今日から努力したい。そして、その結果を、このコラムに寄稿すると是非宣言したいところである。
だが、群集心理には勝てない、というのが私の長年のバブル研究からの暫定的な結論であり、市場という社会と同様、実際の社会でも、バブルをなくすことに対応する、群衆心理による不安の増幅をなくすことには、かなり絶望的である。それが現時点の、私のマクロ行動経済学的な結論である。
#堀江貴文 #ひろゆき - #新型コロナ 「騒ぎすぎ」
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