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まず僕の意見
3~4回読みました。
また「繰り返して」読もうと思います。
「電気工学系の学校」を「二つ卒業」して
「神学校」出身で「中退」www の「四代目クリスチャン」な僕です。
おもろい人生歩んでるwwwww
「カンペキ」な「政治経済オンチ」な
僕ですが、頑張ります。😊😊😊😊😊。
打倒マルクス。マルクスは悪魔崇拝者。論破するぞ。いつか。😊😊😊😊😊。
マルクスと主流派経済学の共通性 2017-07-07 07:00:00
マルクス経済学も主流派経済学も根は同じ
難しいことを書く気はないのですが、実はマルクスの経済学も主流派経済学も同じ哲学を採用しているってしってました?
実は私、十代の頃に民青という共産党の下部組織の勉強会に行っていたことがありました。そこで少し科学的社会主義なるものを学んだのですが、20代後半まですっかり忘れておりまして、そして三橋ブログに出会い、中野剛志氏のナショナル・エコノミーの思想に出会います。
中野剛志氏といえば「苛烈な主流派経済学への批判」で知られる人ですね(笑)
※ただしご著書の中で「新自由主義・グローバリズム批判なんて、大学生くらいの知性があれば誰でも出来る」と書かれておりまして、本人的には知的好奇心をそそられる対象ではないようです(笑)
さて、私の手元には現在、なぜか「科学的社会主義セミナー『マルクスと友だちになろう-社会を変革する学び』」という不破哲三氏のご本があります・・・・(笑)
まあ、まだ大して読んでいないのですが、一応これでもマルクス経済学のおおよその所は承知しているつもりです。(目次を読んだら、おおよそあっていたと確信)
そして今日はこのマルクス経済学と主流派経済学(新古典派経済学・新自由主義経済学)の共通点をざっと語っていこうと思います。
同じ哲学と対をなす哲学
マルクス経済学は唯物論を採用していることはおなじみですが、実は新古典派経済学の根底哲学は機械論なんですね。唯物論と機械論、ほとんど一緒のものです。
この唯物論と対を成すのが不可知論と呼ばれるものです。両方について簡単に説明します。
唯物論とは自然科学で言うと古典力学の世界といった感じです。つまりりんごは落ちる、磁力は発生する、といった「確定した事象を突き詰めていけば、この世の仕組みがわかる”はず”」という話です。
そしてその確定している原理を突き詰めれば、何が正しいのか?も解明できる”はず”というわけです。
何が正しいのか確定したら、その確定事項を各種事象に当てはめれば、正しい結論が導き出せる”はず”と考えます。
これは合理主義ともいいます。
しかしですね・・・現在の自然科学ではシュレディンガーの猫が代表例ですが、観測するまで確定しないということが”ある”とわかりました。量子力学や宇宙理論の世界ですね。
また複雑系の科学、たとえば気象学では各種事象をすべてシミュレーションするのは”無理”なのだそうで、なので過去のデータから「この雲の配置のときは◯%の降水確率」とか予測するわけです。
これが不可知論の姿勢だったりします。「理性でも解明できないことがある」「従って理性に従うならば、不可知な領域があることを認識する」という話です。
では実際にどうなのか?といわれると、新古典派経済学が進めたグローバリズムが、様々な形で不具合が噴出しているし、これはどうも当分収まりそうにない。主流派経済学はすでに現在の世界で理論的敗北を喫しているといってよいでしょう。
そしてこれは機械論、唯物論という哲学の敗北といってよいかもしれない。
共に設計主義的である
共産主義が設計主義なのはご存知の通り。つまり人間の理性で測れぬものはない、従って理性によって設計すればうまくいく”はず”だ、だから設計主義になります。
では新自由主義は?というと実はこちらも設計主義だったりします。一見、経済的自由を重視しているようにみえる新自由主義ですが、新自由主義の理論は「計画に反対するための計画の設計」でしかない、というわけです。
※ここを詳しく知りたい方は、ハイエクへのマイケル・オークショットの批判をググってみてください。
またその史観も実に共通しております。マルクスは唯物史観という一方通行的な「原始共産制→奴隷制→封建制→資本主義→共産主義」といった「一方に進む」がベースになりますし、新自由主義の史観は「国家と国際社会→グローバリズムによる国境のない世界」という、これまた「一方に進む」史観がベースなのです(!!)
マルクスの場合はその最後が「世界同時革命」であり、新自由主義の場合は「国境のないグローバルな世界」というわけです。
しかしマルクスのほうが確実に勝っている部分があります。実際に引用しましょう。
資本は、「社会による強制」なしには、労働者の寿命と健康にたいし、何らの顧慮も払わない
主流派経済学が思想なき、もしくは自由を至上の思想として理論を構築したのに対し、マルクスは人間の生活そのもの、もっといえば労働者の生活を保護するための理論を唱えたといえます。
グローバリズム・新自由主義が機械論という形而下を肯定する哲学を持ちながら、自由という形而上のものを理論の根源に据えたのに対して、マルクスは労働者の保護という形而下を思想の根源に据え、そして唯物論という形而下を肯定する哲学を徹底した。
おそらく理論としての完成度は、マルクスのほうが上なんじゃないでしょうか?
※新自由主義、主流派経済学の論には見るべき点があまりないのですが、マルクスの方には見るべき点もあると私は思います。
求められる保守としての経済論
冒頭から論じてきたように、現在の新古典派経済学、主流派経済学とマルクス経済学の共通点は理論ではなく、その根源において似通っているわけですが、どちらも一般的には歴史的に失敗したと見て良いでしょう。
とするならば、今求められる経済論とは不可知論の認識の上に立ちながらも、あらゆる社会科学の叡智を集め、その国家にあった経済論であるといえます。
後進国には後進国の、先進国には先進国の経済論があってよいはずです。特に災害大国の日本で「公共事業を削れ!」などというのは「正気の沙汰ではない」わけですから、安全保障まで含めた経済論が必要でしょう。
そしてもう1点。じつは主流派経済学もマルクス経済学もどちらも商品貨幣論を前提条件としております。これは200年前の遅れた議論であり、兌換紙幣時代の遺物です。当然現在は不換紙幣(金に交換できない)ですね?
とするならば、国定信用貨幣論に立脚した社会主義論があっても良いのではなかろうか?などとも思います。
※ちなみに共産主義と社会主義は厳密に言うと違います。私有財産を基本的に許さないのが共産主義、許すのが社会主義というわけです。
しかし我が国日本で保守を名乗る連中は、経済のけの字も知らない人ばかり。いわゆる保守論壇から経済論を聞いたことが殆どないのですよ。
だから自称保守は新自由主義やらグローバリズムにころっと騙されるんでしょうが(笑)
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