「週刊女性PRIME」様よりシェア、掲載
ありがとうございます。感謝です。
2019年11月12日号
福山雅治が語る恋愛論 「失恋も学びと思えば否定することはない」
「人生ってうまくいかないな、と感じることが誰にでもあると思います。自分の思うように人生の物語を紡いでいくことができたら幸せなのでしょうが、基本的にはそうはならない。
でも、納得できる現在と、納得できる未来が訪れれば、後悔が残る過去も肯定できるかもしれない。そういったことを考えさせてくれる映画になっていると思います」
万年便秘ぎみのミュージシャン
東京、パリ、ニューヨークを舞台に描かれた大人の男女のラブストーリー『マチネの終わりに』で主演を務める福山雅治。映画では、自分の音楽を見失い苦悩する天才クラシックギタリストを演じている。長年、ミュージシャンとして活躍する福山にも、そんな時期はあったのだろうか。
「程度の差こそあれ、僕は基本ずっとそんな状態です(笑)。昔から、スッと曲が浮かんだり、歌詞が出てくるタイプではないんです。デビュー当時から毎回、壁にぶつかってる。作るという行為自体、常にしんどい作業なんですよね。続けていればいつか楽になると思ってたんですけど。出さなきゃいけないのに、出にくい。
たとえるならば……創作は常に便秘ぎみです(笑)」
そう冗談まじりに話す福山。“でもそれは理想があるから”と表情を変え、言葉を続ける。
「たぶん自分なりに、ああしたい、こうしたいという理想が常にあるから苦しくなるんです。“頑張れば自分以上のものができるはず”って、どこかで自分に期待して。まぁ、自分で自分に期待しないでどうするんだって話なんですけど(笑)。
理想を持つことで、そこにたどり着かない悔しさが生まれてくる。それは僕自身が、今も昔も変わらず感じていることです。でも、正直それを苦痛と思っていたら続けていられない。こういうものだって付き合っていくしかないと思っています」
「『未来は常に過去を変えている』という言葉が映画に出てきますが、まさにそのとおりだと思います。僕は今、自分がしたい仕事を続けられているわけですから、思うようにいかなくてもがいていた過去も、それは必要なことだったんだなって思える。
逆に今、“こんな仕事しなきゃよかった”って感じているようだったら、その過去自体がつらいものになると思います」
傷ついた日々を学びと捉える
恋愛に関してはどうなのだろう。失恋もいい思い出に変えられる?
「過去の自分が、そのときの恋人に対してしたこと、されたことで、もう恋愛しないようにしようとか、一時期の感情だけでよかった悪かったを決めないで、これも学びだと思えるようになれば、否定することはないと思います。
ユーミンさんの歌で、“傷ついた日々は彼に出逢うための、そうよ運命が用意してくれた大切なレッスン”って歌詞があります。多くの女性がその歌詞に共感するならば、元彼との時間はレッスンです。まさに未来が過去を変えていくんだなと」
劇中では、石田ゆり子演じる女性と“運命の出会い”も。2人は、互いの思いに反して決定的にすれ違っていくが……。
「重要なのは出会ってよかったと思える人生であるかどうか。“この人に出会うための人生だった”って思える人が、誰しもひとりやふたりはいるはず。それは結果的に結ばれなかった人かもしれない。でも、この映画を見てくださった方が、“自分にも忘れられない出会いがある。幸せな人生だな”と思っていただけるとうれしいです。
まだ出会ってない人は、これから思ってもないタイミングで恋に落ちるかもしれないですし、すでに出会っている人も、そう思える人がまた現れるかもしれない。最初にも言いましたけど、いい意味でも悪い意味でも、思ったとおりにいかないのが人生ですからね(笑)」
“70歳までは……!”
「僕、50歳になったときに、どこかで“これからの10年が正念場”と考えていました。でも違いましたね。70歳を越えて、矢沢永吉さんがテレビであの熱量で音楽をやられてる姿がすごく刺激的で。僕もまだまだ試行錯誤できる、まだ20年以上できるなと。目標と元気と勇気をいただきました」
“愛すること、愛されること”
「今回の作品は、“愛”という感情を可視化できるラブストーリーかと。恋愛に積極的な人、消極的な人どちらもいらっしゃると思いますが、人生において“愛すること、愛されること”というのがどういう意味を持つのかを問いかけてくれると思います」
映画『マチネの終わりに』
若くして国内外で認められる演奏家となった、天才クラシックギタリスト・蒔田聡史(福山雅治)。自分の音楽を見失い、行き詰まっていた彼は、ある日、パリの通信社に勤めるジャーナリスト・小峰洋子(石田ゆり子)と出会う。強く惹かれ合う2人だったが、その間に思わぬ障害が生じ――。
0コメント