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なぜトランプはわざわざ「ユダヤの聖典」を就任演説で引いたのか
PRESIDENT Online
田中道昭(たなかみちあき)
立教大学ビジネススクール(大学院ビジネスデザイン研究科)教授。
シカゴ大学ビジネススクールMBA。専門はストラテジー&マーケティング、企業財務、リーダーシップ論、組織論等の経営学領域全般。企業・社会・政治等の戦略分析を行う戦略分析コンサルタントでもある。三菱東京UFJ銀行投資銀行部門調査役(海外の資源エネルギー・ファイナンス等担当)、シティバンク資産証券部トランザクター(バイスプレジデント)、バンクオブアメリカ証券会社ストラクチャードファイナンス部長(プリンシパル)、ABNアムロ証券会社オリジネーション本部長(マネージングディレクター)等を歴任。著書に『ミッションの経営学』など多数。
トランプ大統領は就任演説で、旧約聖書から「ユダヤ人が最もよく用いる部分」を引用した。その行為には隠された「メッセージ」があった。
アイデンティティーの核となる信仰心
自分自身を意識・無意識にどのような存在であると思っているかというアイデンティティーは、その人物自身やその人物の行動を分析する上で極めて重要である。
さらには、リーダーシップ論におけるセルフリーダーシップ(自分自身へのリーダーシップ)、ブランド論におけるセルフブランディング(経営者や開発者自身のブランディング)においても、その人物が自分自身を何者であると思っているかというアイデンティティーは最重要ポイントである。それは、自分自身を意識・無意識にどのような存在であると思っているかが、その人物の自分自身に対するイメージ・感情・考え・行動に大きな影響を与えるからである。
このアイデンティティーのなかでも特に重要なのは、その人物が潜在意識の奥底で実際には何を本当に信じているのかという点である。それは、究極の困窮状況にあったり、無意識での反応となるようなとっさの行動が問われたりというように、真価が問われるとき、人は潜在意識の奥底で実際には何を本当に信じているのかという点によって大きく明暗が分かれるからである。
潜在意識の奥底で何を本当に信じているのかというのは、わかりやすく表現すると、信仰心とも言えるだろう。もっとも、ここで言う信仰心とは、必ずしも特定の宗教に対するものとは限らない。例えば、特定の宗教を信仰することの少ない日本人の場合、幼少のときから、「お天道様が見ている」などと両親から育てられた人は、それが信仰心と同様のレベルで、強固な価値観になるだろう。
本稿では、トランプ大統領の側近やトランプ大統領と親しい人物などからの情報をもとに、トランプのアイデンティティー分析を試みてみることにしたい。
トランプの孫8人全員がユダヤ人
トランプの長女イバンカが、ユダヤ人であるクシュナーとの結婚前にユダヤ教に改宗したことは、日本でも既に広く伝えられている。一方、イバンカの子供3人含めて、トランプの孫全員がユダヤ人であることは、日本ではほとんど伝えられていないことではないだろうか。
2017年2月の米国出張中に、筆者はニューヨークにおいて夫婦で不動産会社の共同経営を行っているユダヤ人の女性から、いろいろと話を聞くことができた。この女性は夫婦揃ってトランプと親しくしている他、クシュナー家とも懇意にしている事業家である。彼女から聞いたところによると、トランプには現在8人の孫がいるとのこと。長女イバンカには子供が3人、長男トランプジュニアには子供が5人。次男のエリックにはまだ子供はいないものの、トランプジュニアとエリックはそれぞれがユダヤ人の女性と結婚。ユダヤ教では、母親がユダヤ人で他宗教に改宗していない人、ユダヤ教に改宗した人をユダヤ人と定義していることから、トランプの孫8人全員がユダヤ人であるとのことであった。
彼女の見立てによれば、「ニューヨークで不動産事業を営むには、不動産と金融両面においてユダヤ人と親密な関係性をもつことは重要である。しかし、トランプの孫8人全員がユダヤ人であることは、単にビジネス上の重要性や偶然の出来事ではなく、トランプ本人が信仰上も近い価値観をもっていることによるものではないか」とのことであった。
なお、彼女は「トランプは家族を大切にすることには定評があり、コア支持者の間ではこの点も高く評価されている」という点も強調していた。トランプの大統領選挙では、長男トランプジュニア、長女イバンカ、次男エリックも強力な応援を行っているが、この3人はとても兄弟仲がいいとのことである。
大統領就任演説では旧約聖書を引用
トランプは、2017年1月20日の大統領就任演説のなかで、次のように旧約聖書を引用した。前後関係を理解していただくために、引用部分の前後も長くなるが続けて紹介したい。
[直接の引用部分]
聖書は「神の民が団結して生きていることができたら、どれほどすばらしいことでしょうか」と私たちに伝えています。
The Bible tells us,“how good and pleasant it is when God's people live together in unity.”
[引用部分の前後]
私たちは古い同盟関係を強化し、新たな同盟を作ります。そして、文明社会を結束させ、イスラム過激主義を地球から完全に根絶します。私たちの政治の根本にあるのは、アメリカに対する完全な忠誠心です。そして、国への忠誠心を通して、私たちはお互いに対する誠実さを再発見することになります。もし愛国心に心を開けば、偏見が生まれる余地はありません。聖書は「神の民が団結して生きていることができたら、どれほどすばらしいことでしょうか」と私たちに伝えています。私たちは心を開いて語り合い、意見が合わないことについては率直に議論をし、しかし、常に団結することを追い求めなければなりません。アメリカが団結すれば、誰も、アメリカが前に進むことを止めることはできないでしょう。そこにおそれがあってはなりません。私たちは守られ、そして守られ続けます。私たちは、すばらしい軍隊、そして、法の執行機関で働くすばらしい男性、女性に、守られています。そして最も大切なことですが、私たちは神によって守られています。(以上、NHK NEWS WEBより引用)
次に、就任演説で引用された旧約聖書の該当箇所(詩篇133編)について見てみよう。前後関係を理解していただくために、引用部分の後半を続けて紹介したい。
[直接の引用部分]
「見よ、兄弟が共に座っている。 なんという恵み、なんという喜び。」
how good and pleasant it is when God's people live together in unity.
[引用部分の後]
見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。
かぐわしい油が頭に注がれ、ひげに滴(したた)り
衣の襟に垂れるアロンのひげに滴り
ヘルモンにおく露のように
シオンの山々に滴り落ちる。
シオンで、主は布告された
祝福と、とこしえの命を。(以上、日本聖書協会『旧約聖書 新共同訳』より引用)
旧約聖書のこの部分は、一般的にユダヤ人からはバビロンの支配から解放されたイスラエルの人々の喜びの詩と解釈されているようだ。その喜びとは、再びエルサレムの神殿で共に神を礼拝する喜びとのことである。また、この詩篇は、ユダヤ人の間では歌とともに最もよく愛読されるものの1つであるとのことだった。
トランプが発したかったメッセージを読み解く
ただし、旧約聖書の詩篇133編をトランプが就任演説で引用したことについては、筆者が親交のあるユダヤ人に尋ねたところ、同じユダヤ人でも、トランプを支持するかしないかで大きく見方が異なっていた。トランプを支持するユダヤ人のなかでは、「就任演説のなかで私達ユダヤ人が最もよく用いている部分を引用してくれたのは好ましいこと」とする向きが多かった。その一方で、トランプ不支持のユダヤ人のなかでは、「極めて内向きの演説のなかで、旧約聖書のこの箇所を引用するのは不愉快」との意見が多かった。
なお、この旧約聖書の一説を「深読み」していくと「陰謀論」的な解釈も有り得るだろう。もっとも筆者の分析結果としては、「トランプは米国の団結を訴える部分に、ユダヤ人の価値観を共有しているというユダヤ人へのメッセージをこめて旧約聖書を引用した」程度にとどめておくのが正しい解釈ではないかと考えている。同じユダヤ人でも見方が分かれていることが、「陰謀論」を排除する根拠ではないだろうか。
いずれにしてもトランプを支持するしないにかかわらず、キリスト教徒のみが聖典とする新約聖書ではなく、キリスト教徒とユダヤ教徒の両者が聖典とする旧約聖書から引用したことについては、トランプがユダヤ教の価値観を共有しているというメッセージをユダヤ人に対して送ったものとユダヤ人のコミュニティーで受け止められているのは確かだろう。
最後に、筆者は古くから現在に至るまで、多くの紛争は、聖典の解釈を巡る壮絶な知の戦いでもあると考えている。このようなことから、就任演説の一部と旧約聖書からの引用箇所を併記することで、実際の解釈は読者ひとりひとりにあえて委ねることにしたい。
田中 道昭(たなか・みちあき)
立教大学ビジネススクール(大学院ビジネスデザイン研究科)教授
シカゴ大学経営大学院MBA。専門は企業戦略&マーケティング戦略、及びミッション・マネジメント&リーダーシップ。三菱東京UFJ銀行投資銀行部門調査役、シティバンク資産証券部トランザクター(バイスプレジデント)、バンクオブアメリカ証券会社ストラクチャードファイナンス部長(プリンシパル)、ABNアムロ証券会社オリジネーション本部長(マネージングディレクター)などを歴任し、現職。主な著書に『アマゾンが描く2022年の世界』『2022年の次世代自動車産業』(以上、PHPビジネス新書)、『GAFA×BATH 米中メガテック企業の競争戦略』(日本経済新聞出版社)、『アマゾン銀行が誕生する日 2025年の次世代金融シナリオ』(日経BP社)『「ミッション」は武器になる』(NHK出版新書)などがある。
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田中 道昭
立教大学ビジネススクール(大学院ビジネスデザイン研究科)教授
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