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国民の恐怖はカネになる…ハリウッドが警告し続ける軍産複合体の冷血 20170716
作家
遠藤 徹 TORU ENDO
1961年、兵庫県に生まれる。東京大学文学部英米文学科・農学部農業経済学科卒業、早稲田大学大学院文学研究科英文学専攻博士課程満期退学。現在、同志社大学グローバル地域文化学部教授。「モンスター」「プラスチック」といったユニークな切り口から英米文学・文化研究を行う。その方面の専門的な著作に『ポスト・ヒューマン・ボディーズ』(青弓社)、『プラスチックの文化史』(水声社)、『ケミカル・メタモルフォーシス』(河出書房新社)などがある。また近年は作家としても知られ、「姉飼」(角川書店)で第10回日本ホラー小説大賞を受賞、「麝香猫」で第35回川端康成文学賞候補に選出されたほか、『ネル』(早川書房)、『むかでろりん』(集英社)、『壊れた少女を拾ったので』『おがみむし』『戦争大臣』(いずれも角川ホラー文庫)、『贄の王』(未知谷)などの小説を上梓している。
「軍産複合体」をご存知か?
「製造されるすべての銃、進水するすべての軍艦、打ち上げられるすべてのロケットが、最終的には飢えている人や、食べ物がない者、凍えている人や、服を持たない者からの盗みを意味している」――。
1961年1月17日に行われた、第34代大統領ドワイト・D・アイゼンハワーの退任演説の一節である。この演説において、アイゼンハワーは、企業と軍隊の融合が民主主義に対する脅威となることを予見し、警告したのであった。
軍産複合体(Military Industrial Complex;MIC)という言葉は、上記のような危惧を表現するために、この演説で初めて使われた言葉だ。
けれども、この時代には軍事ケインズ主義と称されるものが、まだ生きていた。朝鮮戦争の時のように、銃を多く作ることは、経済もよくすると信じられていたし、実際ある程度までそれが事実でもあった。だから、この先見の明に富んだアイゼンハワーの演説は、あまり深刻に受け止められることはなかった。
軍事産業の形成について、政治学者のミルズ・ライトは、1956年に著した『パワー・エリート』において、「軍事的な空論(military metaphysics)」という概念を提唱している。
それは、国際的な現実を軍事的な視点で解釈し、定義しようとする精神構造のことだ。この見方では、恒久的な平和というものはあり得ないということになる。平和というのは、せいぜい過渡的なものであり、「戦争の序曲、あるいは戦争の中休み」に過ぎないのである。
実際、この本が出版された1950年代はソ連との対立関係があったため、この「恒久的な脅威の存在」には実感が伴っていた。それが、大規模な軍事産業の形成とアメリカ国軍との癒着関係を促進することになったわけである。
国民の恐怖はカネになる
9.11の後、当時アメリカ国防長官だったドナルド・ラムズフェルドは、スタッフに「脅威を永遠に持続させよ」と書いたメモを渡したという。
対テロ戦争への支持を得るために、アフガニスタンへの恐怖を煽ることを指示した。国民に「自分たちが暴力的な過激派に包囲されている」と気づかせることが大切なのだ。その結果、2017年の現在に至るまで、軍産複合体は巨大化し続けている。
なぜそんなことが起きるのか。たとえば、「ワシントン・ポスト」紙が2010年の7月19日に掲載したナナ・プリーストとウィリアム・M.アーキン(Nana Priest & William M. Arkin)による「アメリカのトップシークレット(TOP SECRET AMERICA: A Hidden World, Growing Beyond Control)」という記事にはこんなことが書かれている。
9.11以後かつてはCIAが一手に担っていた国家安全保障のための諜報活動が「諜報コミュニティ」とでも称すべきものへと拡大している、と言うのだ。
諜報機関の数は17にまで増え、193の私企業が参加し、50万人の契約社員が国家機密を保持しているというのである。2013年に、国家安全保障局(NSA)による個人情報入手の手口を暴露した、エドワード・スノーデンも、このような国家機密を扱う契約社員の一人だった。
こうして国家機密を民間に委託していった結果、諜報活動費は年800億ドル以上に達しているという。アメリカ国軍の予算全体もまた、年間7000億ドル以上と、この10年で2倍になっている。軍事産業はますます巨大化しているのだ。
その背景には、たとえば軍隊そのものが、すでに民間委託されているという事実がある。大手の民間軍事会社には、ダインコープ・インターナショナル、MPRI(Military Professional Resources Inc.)、そしてブラックウォーター(現Xe)などがある。
民間軍事会社MPRIのCEOは、「我々は、一平方メートルあたり、ペンタゴン(アメリカ国防総省)よりも多くの将官数を擁している」と豪語している。軍の主力はすでに、外注に依存しているというのが現状なのだ。
なぜこのような企業が繁栄するかと言えば、当然実入りが大きいからである。たとえば、一人の兵士をイラクやアフガンに派遣するために、訓練し、装備を与え、さらに現地での活動を維持するためには年に百万ドルかかるといわれている。事実、イラクとアフガンでの戦争では、最終的に一兆ドルを超える予算が使われたとされている。
こうなると、軍と結託した企業が政治を操るという事態が発生する。
ボブ・ウッドワード(Bob Woodword)の『オバマの戦争(Obama's War)』によれば、アフガン戦争時にオバマ大統領は、軍備縮小の道を望んだが、国防総省から提示されたのは軍備増強の一択だけだったという。
軍事産業のあまりの巨大さに、大統領でさえも屈してしまう…。オバマはこの時、「わたしの選択肢はないのか? 一つしか選択肢が与えられないなんて」と嘆いたそうだ。
『アバター』の裏メッセージ
軍産複合体がアメリカを、さらには世界を牛耳っている状態に対する鋭い批判を、もっともわかりやすく示しているのが、ハリウッドの超大作映画であると言ったら驚かれるだろうか?
たとえば、ジェームズ・キャメロンの『アバター』(2009)はどうだろう。自分の星の資源が枯渇したため、人類が他の星を侵略し破壊する、というのがこの映画の大きな枠組みであった。
従来のSF映画では、他の星を侵略するというのは宇宙人の行為であったが、いまや科学技術が進歩した人類こそがその侵略者宇宙人と化すわけだ。
そして、この侵略の中心にあるのが、RDA(Resources Developement Administration)という企業であり、その傘下にあるのがSecOpという民間軍事会社なのである。軍産複合体、民間軍事会社による、惑星侵略というのが、この映画の骨格だったわけだ。
もう少し具体的に見ていこう。Na'viと呼ばれる人々が暮らすパンドラと呼ばれる惑星には、アンオブテイニウム(unobtainium=手に入れることができないもの、の意)と呼ばれる資源がある。RDAが求めるものはこの資源である。
ところが、このアンオブテイニウムは、Na'viにとって精神的・社会的な支柱である「生命の樹」の中にあり、これを破壊しなければ入手できない。
監督のキャメロン自身は、アンオブテイニウムとは、南アフリカのダイヤモンドであり、19世紀のイギリスにとってのインドのお茶であり、20世紀のアメリカにとっての石油であると説明している。ある特定の集団が、別の集団の祖先からの地にあるものを奪い取るということだ。
それを可能にするのがテクノロジーにおける優越なのであるが、ここにもひとつ皮肉な逆説が存在する。それは、主人公ジェイク・スカリーは車椅子の水兵だという点である。つまり、主人公は本来であれば、軍人としてもはや役に立たない存在なのである。
ところが、Na'viに気取られぬように接近する手段として、Na'viそっくりなアバター、すなわち分身の体に入り込む能力において優れていたために、彼はスパイとして送り込まれることになる。
すなわちアバターに転移することによって、失った両足の力をとり戻すことになるわけだ。当初は、RDAおよび、SecOpによって放たれたスパイであったスカリーだが、やがて、彼はNa'viの高貴な人間性に気づくことになる。
人間性を失ったのは、むしろ自分たち地球人の方なのだ。Na'viこそがアメリカ軍産複合体の犠牲者なのだと。だから、彼はNa'viとともに軍産複合体に反旗を翻し、これを打ち倒す英雄となるのである。
『アイアンマン』はどうか?
『アイアンマン』(2008)では、この軍産複合体に組み込まれた兵器産業が物語の中心に位置している。
主人公トニー・スタークは、天才科学者にして巨大兵器産業の総帥だ。彼の信条は、強力な兵器の存在が平和のための抑止力となるというものだ。けれどもトニーは、アフガニスタンで、自社の兵器が敵側にも使われていることを知る。
つまり、自分が作った兵器が、自国のために戦う兵士を殺すためにも使われていたということである。これ以後、彼は兵器の製造を中止することを宣言するが、CEO の裏切りにあい命をすら脅かされる。
そんな中、彼は密かに開発したスーツを身にまとったアイアンマンとなることで、自らがすべての戦争を抑止する究極の兵器となる。第一作のラスト、記者会見で「わたしがアイアンマンだ」と告白する場面は、その意味で軍産複合体に対する挑戦状となる。
『アイアンマン2』の冒頭でトニーは、「わたしが平和を私物化した」と語る。この発言で、トニーは国家を敵に回すことになる。なぜなら、世界の警察を自認するアメリカ政府にとって、平和を操作する力は「国家」のものでなければならないからだ。
アメリカ政府はトニーに対しアイアンマンの技術を提供するよう要請するが、トニーは、「わたしがアイアンマンだ。政府がわたしを手に入れることはできない」と拒む。
また『アイアンマン3』(2013)に登場する敵役アルドリッチ・キリアンが率いる企業『アドバンスト・アイデア・メカニックス(A.I.M)』もまた、軍産複合体のひとつである。
しかも、陰で架空のテロリスト、マンダリンを操り、テロの脅威を煽ることで自社の兵器を売り込むという「永遠の脅威」を自ら作り出そうとしている。この点において、キリアンはまさに典型的な軍産複合体のイデオロギーを体現しているといえる。
こうした現状の中、この映画のラストで、トニーが自らアイアンマンスーツを破壊し、一般人に戻るという結末は果たしてハッピーエンドと見なしてよいのだろうか? 軍産複合体に対する抑止力であったアイアンマンが不在になることは、政治的には現状の追認につながってしまうのではないか? そんな疑問を残すエンディングであった。
『ローガン』もまた然り
いずれにせよ、これらの映画で描かれていることは、最大の問題は国の外にあるのではなく、政府あるいは、軍産複合体こそが諸悪の根源だということだ。(この辺りの内容については、今秋刊行予定の拙著『バットマンの死:ポスト9・11のスーパーヒーロー』(新評論)に詳述するつもりである)。
さらに、今年公開されたばかりの、Xメンシリーズの第10作目『ローガン』(2017)にも同様の背景を読むことができる。
2029年に時代設定されたこの映画で印象的なのは、かつて自らの体に埋め込まれたアダマンチウムのせいで弱り切ったウルバリンことローガンの姿である。
さらには、かつてXメンをひとつに束ねていたプロフェッサーも、老いを重ね、能力の制御もできなくなり、扱いにくく気むずかしい老人と化している。
そんな弱り切ったローガンに託されるのが、メキシコ国境にある町、エル・パソにあるトランシジェンという軍事産業で人工的に作られたミュータントの少女、マリアである。実のところ、マリアはローガン自身の遺伝子を、名も知れぬメキシコ女性の卵子に組み込んで作られたのであり、いわば彼の娘だということになる。
トランシジェンは、ウイルスをばらまいてXメンら既存のミュータントを滅ぼし、新たなミュータントが生まれない状況を作り出したことが明らかになる。こうして、自然に生まれる(=制御不可能な)ミュータントを殲滅した上で、トランシジェンは人為的なミュータントの製造に取り組んでいたわけである。
けれども、マリアたち「x23」と呼ばれる世代は、「人格」を持つが故に操ることが難しい。それに対し、もはや人格すら持たない純粋兵器としての「x24」の開発に成功したため、トランシジェンは、マリアたち「x23」世代の子供らを、失敗作として殲滅しようとしている。
彼女を、安全な地、すなわちカナダへ逃がすための逃避行が、この映画の主たる物語となる。この映画における最大の問題点は、究極の兵器が超能力を帯びた人間兵器だということではないだろうか。
人格を持つミュータントはすべて殲滅し、都合良く管理できる人格のないミュータントを兵器として活用する。それがトランシジェンの狙いなのだから。そして、企業である以上、当然のことながらトランシジェンの目的は、こうして作り出したミュータントを軍に売り込むことになる。
人間をもはや人間として扱わない、あるいは人間ではないなにか別の製品=「モノ」のように扱うところまで、経済効率、軍事的効率を重視した軍産複合体は向かいかねない。そんな警告がここで読み取れる。
このように、軍産複合体の問題は、ハリウッドの映画によって明確に描き出されている。
解決策が示されるには至っておらず、その危険性への警告がなされているというにとどまっているという批判はありうるだろう。けれども、この国家ぐるみの「戦争ビジネス」とでもいえる問題を、早急に解決する方法は、まだ見えてきていない。
少なくとも、『アイアンマン3』のように戦いから降りてしまうのでは、この問題は解決しない、ということは確かである。
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